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「やなせたかし はじまりの物語」 のテレビ露出情報

亡くなる2カ月前、放射線治療中に、暢さんの容体が悪化し、1人で歩くこともできなくなった。暢さんは、越尾さんに対し、やなせ先生に色を塗ると言ってあげてなどと伝えていたという。1993年11月22日、75歳で暢さんは亡くなった。やなせ先生の日記によると、前夜はとても元気で、テレビにやなせ先生が出ているのを見て喜んでいたという。やなせ先生は、息の絶えるまでしっかり手を握っていられたこと、少しも苦しまなかったこと、それがせめてもの幸福と思うしかなかったなどとしている。亡くなって1年間は納骨せず、お茶室に安置し、毎日お参りし、暢さんが寂しくないようにと夜も電気をつけっぱなしにしていたという。戸田は、やなせ先生が亡くなる半年前、神戸のアンパンマンこどもミュージアムのテープカットに先生と参加したという。やなせ先生は杖をついていたが、テープカットで人前に出るときに杖を置いていくと言い、戸田がエスコートしていったという。やなせ先生が亡くなる直前、暢さんに宛てた9枚のラブレターが見つかった。先生は、「オブちゃんにもらったカーテンコールみたいな人生はとても面白かった」などと綴っている。2013年、やなせ先生は94歳で亡くなった。暢さんは亡くなる半年前、越尾さんに金沢旅行に行きたいとリクエストしたという。暢さんが亡くなった後、やなせ先生から、越尾さんは旅のことがきちんと出来る人だから安心だと暢さんが言っていたから、付いてきてほしいと言われたという。越尾さんは、どれぐらい出来る人かというテストだったかも知れないとした。ことし、アンパンマンの絵本の累計発行部数は9000万部を突破した。

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