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「ろうを生きる 難聴を生きる」 のテレビ露出情報

NHK映像ファイル#708「あの人に会いたい」。2023年に亡くなった日本ろう者劇団初代代表・米内山明宏さん。ろうの俳優や演出家として活躍。手話狂言など新たなジャンルの演劇を生み出した。昭和27年、東京でろうの両親のもとに生まれた。生まれた時から耳が聞こえず、手話で育てられる。米内山さんは、映画の字幕を辞書で調べて勉強しながら観たと語った。当時は多くのろう学校で手話が禁止されていた。口話教育が行われ、手話はその習得を妨げるものとされた。卒業後着物デザイナーなどの職に就くが28歳の時、「東京ろう演劇サークル」を旗揚げ。アメリカのろう劇団の来日公演がきっかけ。渡米し現地の手話を習得。アメリカのプロのろう劇団で俳優デビュー、日米84か所での公演に参加。手話演劇の高い芸術性を日本に広めたい、活動を支援したのが俳優・黒柳徹子さんだった。昭和57年、東京ろう演劇サークルは黒柳さんが理事長を務めるトット基金の付帯劇団となり、「日本ろう者劇団」に改称。代表の米内山さんは脚本・演出・美術を担当し自らも出演した。米内山さんは、どのようにすれば視覚的な効果が得られるのか検討する、役者の動きや舞台装置を決めて台本を書き始めると話した。また手話で狂言を演じる手話狂言を作ろうと厳しい稽古を重ねた。手話狂言は国内だけでなく海外でも評判となり、昭和62年には文化庁芸術祭賞を受賞。平成11年には共同で映画監督にも挑戦。ろう者を俳優やスタッフに積極的に起用した。手話の普及にも取り組み、「NHKみんなの手話」では13年講師を務めた。手話通訳者の育成にも力を注ぐ。日本で初めて手話を正式な教科として教える学校を設立。学校教育法で認められていないため構造改革特区で実現した(明晴学園)。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年1月25日放送 5:40 - 5:50 NHK総合
NHK映像ファイル あの人に会いたいNHK映像ファイル あの人に会いたい
日本ろう者劇団初代代表の米内山明宏さんはろう者の劇団を率いて手話表現など、新たなジャンルの演劇を生み出した。昭和27年に東京でろうの両親の元で産まれた米内山さんは産まれたときから耳が聞こえず、手話で育てられた。手話は日本とは違う独自の文法をもつ言語で米内山さんにとって手話は第一の言語。日本語は母と幼少期から字幕つきの映画を見ることで学んだ。当時のろう教育の資[…続きを読む]

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