TVでた蔵トップ>> キーワード

「わたしは誰 我是誰~中国残留邦人3世の問いかけ~」 のテレビ露出情報

戦後81年、中国残留日本人の子や孫について伝える。戦時中、約150万人の日本人が中国の東北部・旧満州に暮らしていたとされる。しかし終戦期、引き揚げの混乱の中多くの人達が中国に取り残された。残留日本人が日本に帰国するきっかけとなったのが1972年の日中国交正常化。日本に帰国を果たした人たちはこれまでで6731人にのぼる。一昨日都内で行われた全国戦没者追悼式。亡くなった家族を悼もうとここに中国残留日本人の子や孫たちが参列。山崎さんの祖母は、終戦期の混乱の中、15歳で両親と離れ離れになった。家族と生き別れた当時の状況について語った映像が残されている。祖母は中国の養父母に育てられ、政府の調査で親族が見つかり53歳で帰国。しかし一家を待ち受けていたのは厳しい現実だった。祖母とともに帰国した2世の父親と中国人の母親は日本語がほとんど話せず会話をあまり必要としない工場などで働いていた。両親の収入は乏しく、生活保護を受ける中で幼少時代を過ごした山崎さん。自分の感情を抑えることも少なくなかったという。さらに他の子供達とは違う教育環境にも困惑したという。自分は周りとなにか違うと感じ、自分のルーツを周囲に明かす怖さを感じていたという。不登校も経験したが、なんとか進学した大学では中国の歴史・社会を学ぶことにした。そして中国に留学した際に初めて自分が3世と打ち明けることができたという。先月Webサイトを開設し、自分と同じ境遇の人達が思いを共有できる場にしたいと考えている。専門家は、山崎さんのように疎外感を感じながら生活する3世は多くいると指摘。その背景には、声を上げられなかった存在に社会が気づけなかったことがあるという。自分のルーツをたどることが難しかった人もいる。田中さんは、自分のルーツについて知りたいと大学の卒業論文をキッカケに祖父に話を聞こうとしたが、かたくなに口を閉ざしたという。それでも残留日本人について知りたいと歴史や経緯を調べ、中国で苦しい立場に置かれたことや国に帰国後も生活の補償を求め訴えていたことを知った。そしてある日資料を集める中で政府の記録に祖父の名前を見つけたという。そして今年3月、祖父は亡くなった。田中さんは祖父が中国で過ごした場所を見てみたいと来月、吉林省を初めて訪れようとしている。今、山崎さんは中国残留日本人のことを語り継ごうとしている。過去の出来事を知ることは自分たちの存在を知ることに繋がると考えている。山崎さんらは先月、中国残留日本人の孫世代にあたる3世や4世に焦点をあてた本を出版。

© 2009-2026 WireAction, Inc. All Rights Reserved.