太田光は高畑勲さんと対談をしたことがあるといい、気が付いたときにはアルプスの少女ハイジ、赤毛のアンが僕らの世代でいうと日本のアニメーションの原点で、気が付いたときには知っていたという。火垂るの墓は、作家・野坂昭如の戦争体験を基にした小説が原作。太田光は、高畑さんのアニメーションは宮崎さんもそうだけど子どもの頃からみててリアリティというか一番すごいのは人間の体の動きであったり、焼夷弾でも恐怖が迫ってくるというのが他のアニメーションと比べてすごくリアル、などと話していた。映画が公開されたのが1988年で日本はバブル景気の真っ只中で、当時の映画のチラシを首藤奈知子が紹介。宮崎駿作品のとなりのトトロとの同時上映だった。太田はバブル景気の真っ只中というがもうみんなやばいなという意識があった、言ってみれば狂乱、高畑さんが日本人はなんか忘れてんじゃないのというところの部分がもしかしたらあったのかも、というのが僕の想像だとコメントした。火垂るの墓の企画原案の一文「いまこそ、この物語を映像化したい」と書かれていて、太田光はたぶん高畑さん自身の危機感は上がっていったのかな、などと想像していた。