1592年、秀吉が送った書状に対し、スペイン側の返答の使節が日本に来航。原田喜右衛門という商人は使節が秀吉に会う前にいち早く接触。スペイン側の思惑を探った。当時のスペイン側の史料には「日本国王に対し、返答の使節を派遣する。ただしそれは日本の侵攻に対する準備が完了するまで彼を牽制しておくためである」と書かれている。さらに、秀吉への贈り物も刀剣などのわずかな価値の物しか持ってきていなかった。このままでは秀吉の逆鱗に触れる。商人として戦争は避けたい原田。原田はルソンで流通していたスペインの貨幣を密かに用意し、謁見の直前、贈り物の中に忍ばせた。秀吉はたちまち上機嫌に。使節を黄金の茶室に招き、特別な待遇でおもてなし。使節が帰国する際、秀吉はスペインに再び書状を送った。スペイン本国をも従えようとするさらに威圧的な内容だった。この極めて困難な交渉をまとめるため、原田はルソンへ向かった。別の船で向かっていたスペイン使節が嵐で遭難。携えていた秀吉の書状が失われた。原田はこの状況を逆手に取り、秀吉の書状とは正反対の言葉を伝え、両国に利をもたらす貿易協定を推し進めた。こうして、スペインとの戦争は回避。実はこの時、原田は巨万の富を生むルソン壺の独占権を確保していた。
