- 出演者
- 上田晋也 要潤 ヒコロヒー 鹿毛敏夫
オープニング映像。
- キーワード
- 仲野太賀大河ドラマ 豊臣兄弟!池松壮亮
オープニングの挨拶。ゲストは要潤とヒコロヒー。要潤は大河ドラマ「豊臣兄弟!」で明智光秀役で出演。
福井市の浄得寺には秀吉が所持していたと伝わる金屏風がある。ヨーロッパの宣教師の情報をもとに作られた400年以上前の世界地図。南北アメリカの新大陸から東南アジアの島々まで細かく描き込まれている。中でも秀吉が目をつけていたのがルソン(現在のフィリピン)。
ここから戦国大名の海外交易を研究している鹿毛敏夫さんが加わる。鹿毛さんによると、戦国時代は日本史と世界史がグローバルにリンクし始めた最初の時代なのだという。
フィリピンのイントラムロスというエリアにはスペイン統治時代の町並みが残る。
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- スペインマニラ(フィリピン)
問題「イントラムロスとはどういう意味?」。スタジオメンバーが答えを予想した。
イントラムロスとはスペイン語で「壁の内側」という意味。町の周囲 約4.5kmが堅固な壁で囲われている。イントラムロスはスペインが貿易で集めた富を守るための要塞都市でもあった。スペイン側の史料によれば、秀吉はルソンの金鉱山を狙っていたとされる。フィリピン大学で東アジアの歴史を研究しているジェリー・ガランさんによると、秀吉よりも前にタイフーサ(倭寇)という名前の日本の海賊がルソンにやって来ていたという。タイフーサが拠点としたのはルソン島北部のカガヤン。20隻近い大船団を率い、この地域を支配していたという。しかし後に、スペイン艦隊との戦いに敗れている。
タイフーサに関する日本側の史料はなく、現地の史料に残っているだけ。鹿毛敏夫さんによると、あの時代は商人が東南アジアにどんどん出ていっていたので貿易商人がたくさんいたというのは間違いないという。
立花宗茂が秀吉から拝領されたと伝わるのがルソン壺(茶壺)。美術品としての価値が高く、信長や秀吉といった天下人は貴重な茶壺を競って集めていたという。当時の記録によれば、壺1つが現在の5000万円を超える価格で取引されていた。
問題「窯の名前になっているある生き物とは?」。スタジオメンバーが答えを予想した。
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- ビガン(フィリピン)
ルソン島北部ビガンでは、龍窯と呼ばれる登り窯で壺が作られている。ルーツは中国。スペイン統治以前から中国との交易が行われていた。日本の商人たちがルソン壺に目をつけたのには理由があった。当時、茶の湯の席で最も珍重されていたのは唐物と呼ばれる中国製の茶器。しかしこの時代、中国・明王朝は海賊の取り締まりのため日本との貿易を禁止。そのため、日本で中国の壺を手に入れることはできなかった。しかし、フィリピンには唐物の壺が大量に眠っていたのだ。立花宗茂のルソン壺にも商人たちの目利きの証しが。中国・明で作られた壺に付けられる特徴的な印を手掛かりに、古く価値のある壺を探し出していた。ルソン壺を売り込むため、商人たちが手を組んだのが秀吉だった。
要潤は「ちょっと気になったのがスペイン側のルソン壺の評価の低さ。不思議な感じがしました」などとコメントした。
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- 豊臣秀吉
1592年、秀吉が送った書状に対し、スペイン側の返答の使節が日本に来航。原田喜右衛門という商人は使節が秀吉に会う前にいち早く接触。スペイン側の思惑を探った。当時のスペイン側の史料には「日本国王に対し、返答の使節を派遣する。ただしそれは日本の侵攻に対する準備が完了するまで彼を牽制しておくためである」と書かれている。さらに、秀吉への贈り物も刀剣などのわずかな価値の物しか持ってきていなかった。このままでは秀吉の逆鱗に触れる。商人として戦争は避けたい原田。原田はルソンで流通していたスペインの貨幣を密かに用意し、謁見の直前、贈り物の中に忍ばせた。秀吉はたちまち上機嫌に。使節を黄金の茶室に招き、特別な待遇でおもてなし。使節が帰国する際、秀吉はスペインに再び書状を送った。スペイン本国をも従えようとするさらに威圧的な内容だった。この極めて困難な交渉をまとめるため、原田はルソンへ向かった。別の船で向かっていたスペイン使節が嵐で遭難。携えていた秀吉の書状が失われた。原田はこの状況を逆手に取り、秀吉の書状とは正反対の言葉を伝え、両国に利をもたらす貿易協定を推し進めた。こうして、スペインとの戦争は回避。実はこの時、原田は巨万の富を生むルソン壺の独占権を確保していた。
次回予告が流れた。
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