鶴瓶が半蔵門時代に通ったという「甘味おかめ」を訪れた。鶴瓶は、20代で東京に進出するも失敗し、大阪でレギュラー番組を多数持っていたとき、東京で「オレたちひょうきん族」などの裏番組のMCに抜擢された。ギャラは、1本130万円。番組は、3か月ほどで終了したという。「オレたちひょうきん族」などを作ったプロデューサー・横澤彪に声をかけられ、「森田一義アワー笑っていいとも!」への出演が決まり、タモリに紹介された半蔵門のマンションに住んでいたという。鶴瓶の思い出の味は、氷しるこ。伊達は蔵王あんみつ、富澤は氷イチゴミルク白玉、中条は甘夏パフェを注文。伊達は、サプライズで、半蔵門時代に鶴瓶がよく会っていた人からメッセージがあると紹介した。