シエラレオネ共和国では1991年以降、内戦が続いていた。政府と争っていた武装集団は気性が荒く。村を襲っては大人も子どもも捕まえあらゆる暴力行為を行っていた。国連はイギリス軍を含めた各国から部隊を増員。2000年8月25日、訓練後に駐屯地に向かっていたイギリス軍の11人の兵士は、ジャングルで道に迷ってしまい。突如現れた武装集団に拉致され人質になってしまった。人質をとったのはほぼ壊滅状態にあった「ウエスト・サイド・ボーイズ」を名乗る武装集団。「ウエスト・サイド・ボーイズ」は破壊や略奪行為を繰り返す暴力的な集団で、大半がドラッグ中毒の10代の若者だった。リーダー格のフォディ・カーライはかつて軍に所属していた。11人はアジトに連行され、そこにいた約20人の民間人と一緒に監禁された。アジトは川やジャングルに囲まれ出入りするための道は1つしかなかった。イギリス政府は軍の幹部を現地に向かわせ武装集団と、解放に向けて交渉。軍の幹部は人質が無事か確認させてくれと頼むと、全身傷だらけのアランが連れてこられた。アランは握手のためと手を出した際、軍の幹部にアジトの見取り図や武器の位置を書いたメモを渡した。