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「リッベントロップ」 のテレビ露出情報

日本が日ソ中立条約を締結した2ヶ月後、ドイツは突如としてソビエトに侵攻。独ソ戦が勃発する。開戦後もドイツ軍は好調な進撃を続け、現在のウクライナ・キーウ付近にまで迫った。こうした状況下で松田は大島浩駐独大使の分析を元に「8月か9月にはソビエト軍が撃滅されるだろう」と昭和天皇に自身の見通しを伝えた。ドイツが進撃を続ける中で、日本は資源獲得のために南進することを決断。1941年に南部仏印進駐を行うが、これに対しアメリカは対日石油禁輸・在米日本資産凍結という厳しい制裁を課した。この措置に海軍内では早期開戦論が台頭したが、昭和天皇は開戦に慎重な姿勢を崩さなかった。一方、独ソ戦ではドイツ軍がモスクワの間近にまで迫りドイツが優勢であるとの情報が世界中で囁かれる。これはドイツによる情報戦の結果でもあったが、大島浩駐独大使らはそれに気付くことができなかった。「ドイツ有利」とする情勢判斷の中で、1941年11月5日には御前会議が行われる。この会議では対米交渉が行き詰まった場合は開戦とすることが決められ、同時に終戦に向けてバチカンや南米諸国などとの関係を強化することも定められた。昭和天皇が開戦の判斷を下した背景には、松田の御進講により「中立国との関係を強化し、ドイツがソビエトに勝利することで対米戦にも勝ち目がある」と昭和天皇が判断した可能性があるという。この御前会議から1ヶ月後、日本の真珠湾攻撃により太平洋戦争が幕を開けた。

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