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「サムド(ネパール)」 のテレビ露出情報

2023年4月。野村良太ら4人の登山隊はヒマラヤの麓の集落に向かっていた。この先は物資を運ぶキャラバン隊を編成してベースキャンプまで移動し、そこを拠点に未踏峰のジャルキャヒマールを目指すという。チームのリーダーは齊藤大乗で、杉本龍郎、竹中雅幸、野村良太らが挑むという。初日にたどり着いた宿で4人は食事を堪能した。3日目に竹中雅幸が砂塵で喉を痛めて発熱した。しかしこうした体調不良は登山にはつきものだという。
4月11日。野村良太は喉に痛みがあり食欲がないということで風邪を治すことに専念することになった。野村良太は1994年に生まれて、北海道大学に進んだことで登山ガイドになることになったという。翌日登山隊は最後の集落であるサムドに到着した。さらに翌日は体を高所に慣らす高度順応を行った。その後は目的地であるベースキャンプに到着した。ここを拠点に4人は未踏峰に挑む。4人はルートの偵察やトレーニングなどを行った。
4月25日。出発前日になったが竹中雅幸の体調が悪化した。それでも翌日4人はヒマラヤ未踏峰に挑んだ。ただ6100m付近で野村良太が頭痛の限界を迎えたという。ただそこでルート状況から撤退することが決まりベースキャンプに戻った。
4人は装備を改めて別のルートを進むことにした。4人は2組に別れて進むことになり、そこで齊藤大乗がクレバスに落ちた。しかし奇跡的に無傷で戻ることができたという。4人は話し合って戻るという選択をした。メンバーは再びサムドに戻ってきて、そこで先を行っていたポーターが大雪で視界を失い亡くなったという情報を聞いたという。野村良太は「6000mを超えて無事に帰ってきたというだけで、明らかにゼロではなくなっているかんじなので、次に何かするときの土台になるのではないかと思う」と語った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年12月18日放送 22:45 - 23:30 NHK総合
ヒマラヤ未踏峰への挑戦 野村良太のヒマラヤ日記(ヒマラヤ未踏峰への挑戦 野村良太のヒマラヤ日記)
2023年4月。野村良太ら4人の登山隊はヒマラヤの麓の集落に向かっていた。この先は物資を運ぶキャラバン隊を編成してベースキャンプまで移動し、そこを拠点に未踏峰のジャルキャヒマールを目指すという。チームのリーダーは齊藤大乗で、杉本龍郎、竹中雅幸、野村良太らが挑むという。初日にたどり着いた宿で4人は食事を堪能した。3日目に竹中雅幸が砂塵で喉を痛めて発熱した。しか[…続きを読む]

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