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「ビートルズ」 のテレビ露出情報

きょうは最終回。武田鉄矢さんは「人に頼らず我が身を使って人生から学び取ったいくつかの事を語っていこうと思う。私の始まりは福岡の街。1969年、春大学生の身分を得て福岡の街に歌の仲間を見つけた。フォークソングを歌う仲間たちで60年代後半からめちゃくちゃ世界的に盛り上がったビートルズの活躍によってフォークソングの大ブームが立ち起こった。フォーク・クルセダーズというグループがいて大変な人気者だった。私はフォークソングが大好きになった。とくに仰天したのは反戦フォーク。そこには日本の流行歌にはまったくない新しい言葉の世界があった。日本のシンガーによって訳されたピート・シーガーの腰まで泥まみれ。これはアメリカ陸軍で起こった訓練中の死亡事故。そのニュースをそのまま歌にしたものだった。そして、我々海援隊としては変わったパロディソングを作ろうということで当時映画で大ヒットした唐獅子牡丹の主題歌をパロディを作ったのが私どもの初作品。タイトルは大学ボタン。初作品はパロディソングだが、古いものを新しい言葉で歌い、新しいものを古い言葉で歌う。そんなフォークソングが大好きだった。1970年代は古い歌と新しい歌が混ざり合う激突する潮目の時代。福岡という地方都市に東京からスカウトがやってくるというような時代になった。そこでコーラスがうまくなりたくて。クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングというグループのTEACH YOUR CHILDRENを練習した。そして、腕を上げ1972年の秋に私たちは東京へ旅立った。私は当時福岡教育大学に通っていたため、次の春には福岡県の小学校か中学校の先生になるというのが人生の予定だった。それをすべて捨てて前年の秋に、残り数カ月を捨て違う道へ走り出した。私は私の夢について母にだけは打ち明けた。その旅立ちから1973年12月に母に捧げるバラードという歌が売れた。これで一安心したが、翌年の1974年から人気が低迷することになる」など歌を交えて語った。
きょうは最終回。武田鉄矢さんは「1976年12月にグループの人気が低迷したときに、恥ずかしながら仲間にだまって里帰りした。フォークソングをあきらめて福岡に帰ってこようという相談を母にした。そこで母は“てつやおまえの背中にゃ貧乏神と疫病神が取り憑いとる。今から母と子、力ば合わせてこいつらをだまくらかそう”と言ってきた。そうやって母と(厄払いのため)一晩酒を飲んだ。そして、翌1977年に映画幸福の黄色いハンカチへの出演依頼がきた。高倉健さん、倍賞千恵子さんら昭和を代表する俳優さんたちと一緒に仕事をすることになり、気づけば役者という道を歩いていた。それから2年後の79年秋にテレビドラマ“3年B組金八先生”で主演。それに合わせて贈る言葉という歌が誕生した。母は金八先生を見ながら福岡教育大学にゆかせてよかった、無駄にはならなかったと言った」など歌を交えて話し、最後に贈る言葉を生演奏した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年11月5日放送 1:04 - 1:34 日本テレビ
T.N.T MEETS…(T.N.T MEETS…)
メジャーデビュー5周年で日本武道館に立ったFLOW。そこまでにヒット曲も多数あり、海外ライブも経験していたが、1年半かけて全国をツアーで回って日本武道館のチケットを手売りし、覚悟を決めて挑んだという。来年2月に初武道館に挑むT.N.T。音響について聞くと、ビートルズのための音響システムからスタートしていて技術も良くなりアリーナクラスでは一番聴きやすい会場との[…続きを読む]

2026年11月4日放送 19:57 - 20:42 NHK総合
世界で開け!ひみつのドアーズウィッグ製作者に“ありがとう”旅
新しい人生のキッカケとなるウィッグ産業。ルーツはビートルズ。1964年、アメリカ進出で世界的ブレイク。ビートルズ・ウィッグが大流行した。英語が通じるフィリピンに工場が進出するようになった。2000年代、日本企業が進出。

2026年11月2日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(オープニング)
今回はザ・ビートルズを特集。その存在は若者たちに自由を夢見させて新たな価値観を運んだ。

2026年11月2日放送 21:00 - 22:54 日本テレビ
1分間の深イイ話深イイ話復活2時間SP 審議中 子どもが憧れる職業は幸せか?
JALの女性パイロットに密着。1966年にはビートルズが飛行機で来日すると、華やかで近代的な乗り物として世の憧れに。1970年代には日本初のジャンボジェット機が就航。

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