1893年、シカゴ万博が開催された際、日本のパビリオンは平等院鳳凰堂をモチーフにしていた。欧米列強に対して、中国との差別化を図るべく、平安時代中期を打ち出したという。一方、欧米列強に対抗するためには日本の連帯が求められ、人々に日本人という意識を芽生えさせる必要があった。ただ、高木博志氏は「それは均質なイメージ、理想の押しつけを意味し、均質な文化を共有できない人々を排除する動きも近現代ではあった」と語った。
© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.