「モナ・リザ」のモデルは商人の妻とされているが、池上英洋氏は「商人の妻を描くときの約束事がみられない」と異論を唱える。また、一商人の細君を描くのにダヴィンチが尋常ではない労力、時間を傾けたのかも疑わしいという。池上氏は「モナ・リザ」のモデルはダヴィンチの母親ではないかと推理する。史料によると、レオナルドは正式な結婚によって生まれた子どもではなく、加えて、母親は別の男性に嫁いだ。ダ・ヴィンチが母と再会したのは41歳の時で、翌年に死去するまで共に生活した。母の死後、レオナルドは「モナ・リザ」の制作をスタートさせた。