ピアニストのフジコ・ヘミングさんは、日本人のピアニストの母とスウェーデン人の画家・建築家の間にベルリンで生まれた。母親の手ほどきでピアノを始め、そこからピアノの才能が開花したという。太平洋戦争末期の頃は、戦火を逃れて岡山県総社市に疎開した。疎開先でもフジコさんはピアノを弾き、現在戦火にさらされているウクライナでも毎年コンサートを開催していたという。フジコさんは戦争をなくすための心持ちについて、「人を怒らせるようなことは絶対言わないこと」などと述べた。
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