取材に訪れるたび、フジコ・ヘミングは自宅3階の部屋でピアノに向かっていた。100年前に製造されたドイツ製のピアノで、母がピアノ留学した際に手に入れたものだった。母・投網子は留学中にスウェーデン人のデザイナー、ジョスタ・ヘミングと結婚。1931年にベルリンでフジコが生まれ、翌年両親はフジコを連れて日本に帰国。4歳で母にピアノを習い始めた。日本での生活が行き詰まった父はフジコが6歳の時にスウェーデンに帰国し、そこから一度も日本に来ることはなかった。母はピアノ教師として働いた。母の奏でるショパンの演奏が原点となったフジコは、ショパンを終生愛した。