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「ストックホルム大会」 のテレビ露出情報

今年のパリオリンピックの中でもKING OF SPORTSと呼ばれる近代五種。そこで銀メダルを獲得した佐藤大宗選手。日本の競技人口は約50人。初のメダル獲得は快挙となった。その偉業により今近代五種は新しい扉が開かれている。この競技は、フェンシング・水泳・馬術・レーザーランの5種目の総合得点で競う。1日ですべての種目を行う。古代オリンピックでペンタスロンと呼ばれる五種類の競技で競い合ったことが始まり。ペンタスロンが近代的な種目に変更されて、1912年のストックホルム大会から近代五種が開催。世界には、競技者1万5000人ほどいると言われている。
佐藤選手が所属している自衛隊体育学校。近代五種すべての種目が練習できる日本有数の施設。佐藤選手は、中学から6年間打ち込んだ水泳を活かせる仕事がしたいと海上自衛隊に入った。そこでたまたま教官から誘われたことが競技人生のスタート。スカウトしたコーチは、元々兄の方を勧誘していたという。話をしたら「私は部隊でやりたいことがあります」と断られ弟を紹介されたという。佐藤選手は突然の誘いに戸惑いもあったという。5つの種目を同時に鍛えなければいけない近代五種。10時間以上にも及ぶ練習で体重が1日で5kgも落ちることがあったという。逃げずに取り組むうちに気持ちに変化が起きたという。結果がでるにつれどの種目にもない達成感、爽快感がすごいなどと話した。きつい練習でも前向きに転換できる独特の思考方法を育てていて、前向きに捉えてを365日繰り返して続けたらパリオリンピックでは何も怖くなかったという。しかしメダルを手にするまでには引退を考えた出来事もあったという。東京五輪の落選で気持ちが折れて初めて泣いたという。東京五輪の近代五種の役員をやっていて、眼の前で選手が戦っているのをみて悔しい気持ちしかなくて、火がついてそこからの3年間本当に頑張ったという。その後新たに取り入れたのは、専門性の高い人に自ら協力を求め種目ごとにレベルを高めることだった。佐藤選手は「諦めない心はどの選手よりもあった。みんなのサポートがあってみんなで勝ち取ったメダル」などと話した。パリ五輪後の競技の広がりは、日本近代五種協会によると子どもの部門もある近代三種の大会参加者が約50人から200人に増えた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年8月12日放送 9:50 - 11:30 フジテレビ
ノンストップ!(PARIS 2024)
ベルサイユ宮殿で行われた近代五種男子決勝に、佐藤大宗が出場。近代五種は馬術、フェンシング、水泳、レーザーラン(射撃+ラン)の総合得点で争う。1912年、ストックホルムオリンピックから採用。その過酷さから日本勢は未だ入賞なし。オリンピック初出場の佐藤大宗は3種目を終えた時点で全体4位と好位置につけた。得意の最終種目レーザーランで、112年の歴史で初の表彰台を目[…続きを読む]

2024年8月3日放送 19:52 - 21:45 フジテレビ
パリオリンピック(パリオリンピック)
オリンピックの華・陸上男子100m。1912年、ストックホルム五輪に日本人で初めて100mに出場した三島弥彦。1924年、パリ五輪には谷三三五が出場、翌年に10秒8を記録した。1932年、ロサンゼルス五輪では吉岡隆徳が100m決勝で日本人初の6位入賞を果たした。2017年、日本学生対校選手権に出場した桐生祥秀は9秒98を記録し、日本人初の9秒台となった。20[…続きを読む]

2024年7月22日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀バタフライエフェクト)
近代オリンピックの創立者であるピエール・ド・クーベルタンはスポーツを通じて平和な世界を実現できると考えていたという。そんあクーベルタンがオリンピックについて語った肉声が流れた。古代のオリンピックは戦争をしていても大会中は休戦するという決まりがあった。そのためオリンピックが平和の祭典になることをクーベルタンは願っていたという。ただ第一次世界大戦によってクーベル[…続きを読む]

2024年7月13日放送 16:00 - 16:30 テレビ朝日
カクエキ!東京メトロ半蔵門線 水天宮前
チャンカワイ・橋本涼・作間龍斗・高橋優斗が東京メトロ半蔵門線 水天宮前駅周辺を散策。まず一行が訪れたのは水天宮前駅から徒歩3分の場所にある小春軒。明治45年創業。老舗ながらのメンチカツやカジキマグロバター焼きが1000円で食べられる懐に優しい名店。一行は明治から伝わる小春軒特製カツ丼を堪能した。続いて一行は天正4年創業の玉英堂を訪れた。天正4年は安土桃山時代[…続きを読む]

2024年4月12日放送 13:55 - 14:53 テレビ朝日
午後もじゅん散歩(午後もじゅん散歩)
敦賀赤レンガ倉庫を訪問。こちらは1905年建設で、元々は列車を誘導するときの証明に使う石油の貯蔵倉庫だった。1912年、欧亜国際連絡列車が運行。新橋-金ケ崎間の直通列車が走っていたが、ジオラマ館では当時の様子を再現。1枚の切符で鉄道から船に乗り換えてロシアまで行き、シベリア鉄道からパリまで行けたという。このルートを使い与謝野晶子はパリへ。金栗四三らが出場した[…続きを読む]

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