ハリケーンの被害が多いアメリカではハリケーンをコントロールするという夢は続いていった。代表的なのは1962年にスタートした実験計画「ストームフューリー」であった。1963年のハリケーン「ボーラー」では最大風速が20%減少し、1969年のハリケーン「デビー」では最大風速31%減少とされた。だが1971年のハリケーン「ジンジャー」では効果なしとなりノースカロライナ州モアヘッド市に上陸し、損害額は約1,000万ドルとなった。反省ポイントとして一番大きかったのは実験が成功したのか失敗したのか全くわからなかったことだという。
