2023年2月、二刀流の育成が始まった。栗山はキャンプの前に球団のコーチやスタッフを集め「大谷翔平、投打二刀流で行く」と言い放った。4年がかりで二刀流を完成させる構想をたてファイターズ大学と命名した。キャンプイン早々、大谷は150km超えの豪速球。そしてスイングの起動にコーチ陣が目を見張った。二刀流の育成に欠かせないのが大きな負担に耐えうる体作りだった。そこで栗山たちが頼ったのがトレーナーの中垣征一郎だった。多くの野球関係者が二刀流は無謀だと話す中、中垣征一郎の見解は違っていた。中垣と大谷二人三脚の練習が始まった。メニューの中心はドリルと呼ばれるトレーニング。メディシンボールや棒を使った地道な反復練習だった。投げる、打つ、2つの動作に共通するのが横方向への体重移動だった。体重移動を徹底的に鍛えるのがこのドリルだった。打者に係る負担を考慮しながら投手としての登板日や投球数も細かく管理した。1年目は投手として登板するときは打席に立たず。打者として出場する日は基本的に野手に専念することにした。2013年3月29日、シーズンが開幕した。栗山は球団として54年ぶりに高卒ルーキーをスタメンに抜擢した。大谷は相手エースから2安打を放った。5月16日、大谷は2軍で先発出場。4試合に登板したが結果はでなかった。それでも栗山は早い段階で1軍のマウンドに立たせた。短いイニングを投げるリリーフで登板し実践での登板を増やそうとした。8月18日のソフトバンク戦。大谷は5番ライトで先発出場。8回表、栗山は大谷をリリーフに送った。1イニングを無失点でしめた。しかしその陰でブルペンでは思わぬ軋轢が生じていた。もし大谷の肩ができていなかったら投げるのは5年目の谷元圭介だった。さらに栗山は大谷が登板し予定の球数を超えた場合のバックアップにも谷元の起用を考えていた。投手コーチの島崎がそのことを谷元に伝えると、谷元は泣き崩れてしまった。谷元圭介は「大谷をきれいなハンカチで例えるなら、僕はボロ雑巾。僕の成績よりプログラム優先みたいな」などと話した。次の回、栗山は泣き崩れた谷元をマウンドに送った。谷元は三者凡退に討ち取った。大谷の1年目の成績は投は3勝0敗。打は打率238、本塁打3。二刀流としてはまだほど遠い成績だった。チームは北海道移転後初めてとなる最下位に沈んだ。チーム内には亀裂が入り始めていた。
