ソン・ソンムンは30年以上前、1人でタルトンネに流れ着きずっと1人だ。幼い頃に親を亡くしたソン・ソンムンは小学校に通えなかった。10代の頃からガスの配達や修理工などの職を転々とし国の経済成長と無縁だった。2025年夏、ソウル住宅都市開発公社がこの土地一帯の権利を取得した。全人口の半数が集中するソウル首都圏では慢性的な住宅不足に陥っている。タルトンネのバラックを取り壊せばこの土地に30棟を超す高層マンションを建設できる。開発公社の目標は2025年中の立ち退き完了。全住民の7割がすでに町を去っている。193世帯が立ち退きを拒んでいる。開発公社は立ち退きと引き換えに賃貸住宅を6割引の家賃で提供するとしている。町に残る者の多くは割引価格の家賃も払うことができない。
アン・イスは夫の暴力から逃れるため無一文でここに流れ着いた。共に暮す40代の息子は6年以上奥の母屋から出ない生活を続けている。タルトンネではそれぞれの家に住所が無い。住民の荷物は通りに面した場所に野ざらしで積まれる。アン・イスには息子の他にもう1人子どもがいた。生活が苦しかった20代の頃、生まれたばかりの娘を故郷・釜山の教会に預けた。その後、娘は海外に養子に出され生き別れることとなった。タルトンネは朝鮮戦争後の焦土から生まれた言葉。韓国全土で300万人以上が家を失い、首都ソウルに流れ込んだ人々は手作業でバラックの町を築いた。カンナムのタルトンネが生まれたのは経済成長の只中にあった1988年。ソウルオリンピックの開催を契機に政府は都市浄化の名の下、各地のスラムを強制的に解体した。行き場を失った者たちはこの丘に流れ着き、水道や電気を引き町を築いた。
タルトンネの前には再開発で計画されているものと同規模のマンション群が建つ。3LDKの部屋は約3億5000万円。タルトンネに面するため比較的安価だという。開発公社は再開発に先駆けて道路工事に着手した。火災が起きたときに消防車が通るための消防道路を作るという。タルトンネはインフラが脆弱なためカンナムの防災上のリスクだとみなされてきた。2025年中の立ち退き完了目標は達成されず新年を迎えた。
2026年1月16日、タルトンネに黒煙が上がった。空き家から上がった火はまたたく間に広がった。幸い死者は出なかったものの、火は8時間燃え続けた。町に残る3分の2にあたる129世帯の家が全焼した。家を失った住民は行政から提供されたホテルで避難生活を送ることになった。消防による調査が行われたが、火災の原因は不明。住民たちはある憶測を口走るようになった。市や開発公社が開発するために町を燃やしたという。
かつて韓国では再開発でバラックを取り壊す際、政府が保証して新たな住居の所有権を与えることがあった。1988年以降、ここに流れ着いた者の中にはいつか所有権を得られるという希望を抱く者もいた。だが政府は政策を転換。タルトンネのバラックは保証の対象外となった。希望を捨てきれない一部の住民は保証を求めるグループを立ち上げた。その拠点は火災後、マスコミや世論にアピールする場となった。グループのリーダー、ユ・ギボムはタルトンネに建てられる高層マンションの所有権を要求している。ユ・ギボムを指示するグループが火災現場で行動を始めた。開発公社から委託を受けた立ち退き業者との間で衝突が起きた。ユ・ギボムが次期ソウル市長選への出馬を公言していた国会議員を連れてきた。現職市長は再開発を推し進めている。火災現場にテントの設置が認められた。ホテルに避難する住民の一部はここに通うようになった。現在の法律では彼らに保証が与えられる可能性はない。
火災を免れたキム・ファングフは保証を求めるグループの動向には目もくれなかった。朝鮮戦争休戦の7年後に生まれたキム・ファングフはソウル郊外のバラックで育った。15歳の頃からは電子部品の工場や建設現場で働いた。30代の時、自ら運送会社を立ち上げたが倒産、全財産を失った。そして1998年、妻と2人の子どもを連れてタルトンネに流れ着いた。その翌年、火事で妻が亡くなった。火災後、町に残る住民に対し開発公社から6月15日までの立ち退きを命じる最後通牒が行われた。
ソン・ソンムンはこの30年、タルトンの外の世界とほとんど交わらずに生きてきた。開発公社が提供する移住先は電車を使わなければ日常生活を営めない場所にある。火災から1月余り、家を失った住民へのホテル宿泊の支援が打ち切られた。開発公社は瓦礫撤去を開始した。工事の着工が遅れれば1日約1千万円の損失が出る。保証を求める住民グループは工事着工を防ぐため氷点下3度の中で見張りを続けた。開発公社によって焼け跡はシートで覆われた。高層マンションの住民が、焼け跡から粉塵が舞うと開発公社に苦情を訴えたためだった。保証を求める訴えが世論に届くことはなかった。
開発公社からソン・ソンムンに移住先について具体的な提案があるという。タルトンネの193世帯は散り散りとなった。キム・ファングフは町を去った住民の廃品を金に変えた。タルトンネの最後の1人になろうとしていた。
アン・イスは夫の暴力から逃れるため無一文でここに流れ着いた。共に暮す40代の息子は6年以上奥の母屋から出ない生活を続けている。タルトンネではそれぞれの家に住所が無い。住民の荷物は通りに面した場所に野ざらしで積まれる。アン・イスには息子の他にもう1人子どもがいた。生活が苦しかった20代の頃、生まれたばかりの娘を故郷・釜山の教会に預けた。その後、娘は海外に養子に出され生き別れることとなった。タルトンネは朝鮮戦争後の焦土から生まれた言葉。韓国全土で300万人以上が家を失い、首都ソウルに流れ込んだ人々は手作業でバラックの町を築いた。カンナムのタルトンネが生まれたのは経済成長の只中にあった1988年。ソウルオリンピックの開催を契機に政府は都市浄化の名の下、各地のスラムを強制的に解体した。行き場を失った者たちはこの丘に流れ着き、水道や電気を引き町を築いた。
タルトンネの前には再開発で計画されているものと同規模のマンション群が建つ。3LDKの部屋は約3億5000万円。タルトンネに面するため比較的安価だという。開発公社は再開発に先駆けて道路工事に着手した。火災が起きたときに消防車が通るための消防道路を作るという。タルトンネはインフラが脆弱なためカンナムの防災上のリスクだとみなされてきた。2025年中の立ち退き完了目標は達成されず新年を迎えた。
2026年1月16日、タルトンネに黒煙が上がった。空き家から上がった火はまたたく間に広がった。幸い死者は出なかったものの、火は8時間燃え続けた。町に残る3分の2にあたる129世帯の家が全焼した。家を失った住民は行政から提供されたホテルで避難生活を送ることになった。消防による調査が行われたが、火災の原因は不明。住民たちはある憶測を口走るようになった。市や開発公社が開発するために町を燃やしたという。
かつて韓国では再開発でバラックを取り壊す際、政府が保証して新たな住居の所有権を与えることがあった。1988年以降、ここに流れ着いた者の中にはいつか所有権を得られるという希望を抱く者もいた。だが政府は政策を転換。タルトンネのバラックは保証の対象外となった。希望を捨てきれない一部の住民は保証を求めるグループを立ち上げた。その拠点は火災後、マスコミや世論にアピールする場となった。グループのリーダー、ユ・ギボムはタルトンネに建てられる高層マンションの所有権を要求している。ユ・ギボムを指示するグループが火災現場で行動を始めた。開発公社から委託を受けた立ち退き業者との間で衝突が起きた。ユ・ギボムが次期ソウル市長選への出馬を公言していた国会議員を連れてきた。現職市長は再開発を推し進めている。火災現場にテントの設置が認められた。ホテルに避難する住民の一部はここに通うようになった。現在の法律では彼らに保証が与えられる可能性はない。
火災を免れたキム・ファングフは保証を求めるグループの動向には目もくれなかった。朝鮮戦争休戦の7年後に生まれたキム・ファングフはソウル郊外のバラックで育った。15歳の頃からは電子部品の工場や建設現場で働いた。30代の時、自ら運送会社を立ち上げたが倒産、全財産を失った。そして1998年、妻と2人の子どもを連れてタルトンネに流れ着いた。その翌年、火事で妻が亡くなった。火災後、町に残る住民に対し開発公社から6月15日までの立ち退きを命じる最後通牒が行われた。
ソン・ソンムンはこの30年、タルトンの外の世界とほとんど交わらずに生きてきた。開発公社が提供する移住先は電車を使わなければ日常生活を営めない場所にある。火災から1月余り、家を失った住民へのホテル宿泊の支援が打ち切られた。開発公社は瓦礫撤去を開始した。工事の着工が遅れれば1日約1千万円の損失が出る。保証を求める住民グループは工事着工を防ぐため氷点下3度の中で見張りを続けた。開発公社によって焼け跡はシートで覆われた。高層マンションの住民が、焼け跡から粉塵が舞うと開発公社に苦情を訴えたためだった。保証を求める訴えが世論に届くことはなかった。
開発公社からソン・ソンムンに移住先について具体的な提案があるという。タルトンネの193世帯は散り散りとなった。キム・ファングフは町を去った住民の廃品を金に変えた。タルトンネの最後の1人になろうとしていた。
