パキスタンの地方の一部では、障害がある子どもは神の呪いだとして存在自体を隠され学ぶ機会も与えられてこなかった。耳の不自由な子どもたちの未来を変えようと学校を立ち上げた女性を取材した。パキスタン北部のスカルドゥは農業が主要な産業の地方都市。12年前、パキスタン北部に初めてできたろう学校では、耳の不自由な4~20歳の82人が学んでいる。パキスタンの地方では手話ができる人が少ないため、入学した子どもたちはまず、約1か月かけ手話を習得する。その後、英語などの基礎的学習、芸術、宗教、コンピューターなど様々なことを手話で学ぶ。学校を運営するアニカ・バノさんが学校を設立するきっかけとなったのは長女のナルジス・ハートゥーンさんだった。ナルジスさんは生まれつき聴覚に障害があった。バノさんは「聴覚障害者を全く受け入れない社会で娘を育てることにとても不安を感じた」などと述べた。約20年前、パキスタンでは耳の不自由な子どもたちの学校は一部の大都市にしかなかった。教師になることを目指して大学まで進学していたバノさんは手話を学び、地方でも聴覚障害者が通える学校を作ることを決めた。自宅の一室で教えることから始めたが、当初は親の多くが聴覚に障害がある子どもたちに勉強をさせるのは時間と労力の無駄だと考えていた。バノさんは夫・ラスールさんと共に聴覚障害のある子どもの家を探し、たとえ障害があっても教育を受けることが大事だと説得を続けた。努力は実を結び、12年前に自宅の隣に長女の名前をつけた学校を設立した。学校運営は主に寄付金で賄われ、収入の少ない家庭の子は無料で学ぶことができる。今では寮に入って学校に通う子どもたちも多くいる。学校での学びを通じて生徒たちの人生は変わった。コネイン・ファティマさんの家族も偏見に直面してきた。ファティマさんは11歳の時にバノさんに誘われ入学。今では得意の裁縫を下の学年の子どもたちにも教えている。苦しい家庭を助けたいと、学校が終わると仕立てのアルバイトをして家族を支えるまでになった。ファティマさんの父は「バノさんに感謝する」などと述べた。バノさんは障害に関係なく、誰もが受け入れられる社会を実現したいと考えている。パキスタンで活動している支援団体によると、聴覚障害のある子どもはパキスタン全土で100万人以上いるが、そのうち学校に通えているのはわずか5%足らずだという。