1872年12月4日、デイ・グラツィア号がホルトガル沖で漂流船を発見。応答がなかったのでモアハウス船長は漂流船に近づいた。漂流船は「メアリー・セレスト号」。船内に乗り込むと、誰もいなかった。事故や火災の形跡はなく乗組員の荷物や食料がそのまま残されていた。メアリー・セレスト号はアメリカからやって来た商船。1872年11月5日にニューヨークを出航。工業用アルコール1701樽をイタリアのジェノバに運ぶ予定だった。乗っていたのは船長のベンジャミン・ブリッグスとその妻、幼い娘。他の乗組員と合わせて10人。公開日誌によるとメアリー・セレスト号はずっと悪天候に見舞われていた。最後の記録は出航から3週間後の11月25日。数足18メートルの嵐と闘い、乗組員は疲れ切っていると書かれていた。その直後なにかアクシデントが起こった可能性がある。乗組員が居なくなったメアリー・セレスト号は1週間以上、漂流しデイ・グラツィア号に発見された。まず浮かび上がったのは船長殺害説。メアリー・セレスト号はデイ・グラツィア号によってイギリスの港に運ばれた。調査が行われると、船長の部屋から剣を発見。マストや看板に血痕らしきものが付着していた。
