鹿児島県で移住生活をしている家族を訪ねる。探している家族はシミズさん。森の中のどん詰まりでく暮らしている。清水幸祐さんは分ワケあって山の中に移住。妻の麻友さんと子供がいる。家があるのは鹿児島県南東部の鬱蒼した森のなかでここに1年半前から夫婦と子供3人暮らしをしている。現在は母屋を改修しているというがその家は築80年の家で、板を一枚一枚貼っていて、最初は家が沈んでいたという。それを鉄板などで土台に噛ませて底上げをした。現在は壁の取り付けを行い、一枚一枚隙間のないように板を貼る。夫婦で母屋をDIYをしていたが1年前にこのボロボロの家をワケあって購入し、自分達の理想に少しでも近づけたいと、素人にもかかわらず改修に励む日々。しかし未だ完成する目処は立っていない。今は納屋の中で仮住まいをしているという。
次に畑や田んぼがあるが耕運機がなく、不耕起という耕さない田んぼを行っているがトマトやジャガイモ、生姜、らっきょうなどの18種類も育てていて野菜は自給自足だという。しかし元々は鹿児島に縁もなにもなく清水さんたちは元々岐阜県の街中で生活していた。しかしあることがきっかけで鹿児島県の森の中に移住することになった。その生活に密着。妻の麻友さんは建物の中で洗濯をしていたが洗剤は上済み液。水に灰をいれるとアルカリ性になり衣類についた皮脂や垢や脂やタンパク質の汚れを落としてくれ、洗剤にしている。作業が終わると幸祐さんは木くずを集めていたがそれをカマにいれて風呂の温度をあげていた。一方で麻友さんは葉っぱを取りに行くというが草木が生い茂った場所にやってきたが土地を購入した所土地もついていてクサギの新芽を収穫していた。クサギはシソの仲間でナッツの香りがするという。他にもいろいろな食材を収穫し揚げ焼きにしていく。
一方で幸祐さんと子供は一緒に入浴中。午後6時には風呂からあがると料理をし、畑でとれたニンニクの芽を使うがそこにイカをいれる。更にタイヤヒラメなども食材にあったが、幸祐さんは週に1回漁の手伝いをし、網にかかった魚などをただで貰っている。食材費0円でご飯が完成した。そしてその後キャンプテントを設置している場所へ。ここは寝室になっているが暖房も冷房もないために外の気温と一緒の状態で寝る。半年と考えていたテント生活は1年半を越えてしまった。幸祐さんは現在無職でギリギリの生活をしている。昭和57年に愛知県名古屋市で生まれた幸祐さんは自分と同じ病気に苦しむ人達ができればと知多半島へ。知多半島で八百屋をしていたというがそこで無農薬で野菜を作って名古屋に売りに行く仕事をしていたという。
一から農業を学び、自分流で野菜を作りたいと知り合いから安く土地を借りて三重県へ移住したった一人で自給自足生活を始めた。そんな中、29歳のときに妻となる麻友さんと出会ったが世界中を旅行していた麻友さんと出会い、自然のなかで自由に生きたいという考え方が近く意気投合をした。3ヶ月でスピード結婚した。四年前には子供も授かり、夢だった自然のなかで自由に暮らせる場所を探すことに。海が会って山もある場所で家の前には地続きで田んぼもある理想の場所を求めて各地を回っている中でたまたま鹿児島県のこの場所にたどり着き住むことができた。
次に畑や田んぼがあるが耕運機がなく、不耕起という耕さない田んぼを行っているがトマトやジャガイモ、生姜、らっきょうなどの18種類も育てていて野菜は自給自足だという。しかし元々は鹿児島に縁もなにもなく清水さんたちは元々岐阜県の街中で生活していた。しかしあることがきっかけで鹿児島県の森の中に移住することになった。その生活に密着。妻の麻友さんは建物の中で洗濯をしていたが洗剤は上済み液。水に灰をいれるとアルカリ性になり衣類についた皮脂や垢や脂やタンパク質の汚れを落としてくれ、洗剤にしている。作業が終わると幸祐さんは木くずを集めていたがそれをカマにいれて風呂の温度をあげていた。一方で麻友さんは葉っぱを取りに行くというが草木が生い茂った場所にやってきたが土地を購入した所土地もついていてクサギの新芽を収穫していた。クサギはシソの仲間でナッツの香りがするという。他にもいろいろな食材を収穫し揚げ焼きにしていく。
一方で幸祐さんと子供は一緒に入浴中。午後6時には風呂からあがると料理をし、畑でとれたニンニクの芽を使うがそこにイカをいれる。更にタイヤヒラメなども食材にあったが、幸祐さんは週に1回漁の手伝いをし、網にかかった魚などをただで貰っている。食材費0円でご飯が完成した。そしてその後キャンプテントを設置している場所へ。ここは寝室になっているが暖房も冷房もないために外の気温と一緒の状態で寝る。半年と考えていたテント生活は1年半を越えてしまった。幸祐さんは現在無職でギリギリの生活をしている。昭和57年に愛知県名古屋市で生まれた幸祐さんは自分と同じ病気に苦しむ人達ができればと知多半島へ。知多半島で八百屋をしていたというがそこで無農薬で野菜を作って名古屋に売りに行く仕事をしていたという。
一から農業を学び、自分流で野菜を作りたいと知り合いから安く土地を借りて三重県へ移住したった一人で自給自足生活を始めた。そんな中、29歳のときに妻となる麻友さんと出会ったが世界中を旅行していた麻友さんと出会い、自然のなかで自由に生きたいという考え方が近く意気投合をした。3ヶ月でスピード結婚した。四年前には子供も授かり、夢だった自然のなかで自由に暮らせる場所を探すことに。海が会って山もある場所で家の前には地続きで田んぼもある理想の場所を求めて各地を回っている中でたまたま鹿児島県のこの場所にたどり着き住むことができた。