先週、あるミュージアムがオープンした。展示されているのは、黒柳徹子さんがテレビ番組で着用したものや、自ら集めたコレクション。美術品を展示できることを「平和」という言葉で説明した。戦後80年を迎える今、戦争について話すことはその次代を生きた自分の義務だと語った。
俳優の黒柳徹子さん。終戦後、テレビ女優第1号としてNHK放送劇団に入団して以降、司会や作家など様々なジャンルで活躍している。これまで折に触れて自身の戦争の記憶を伝えて来た。東京・乃木坂で生まれた黒柳さんの戦争体験。それは12歳で終戦を迎えるまでの間、毎日不安な気持ちで過ごしたことだという。中でも鮮明に覚えているのは1945年3月10日未明の東京大空襲。当時の自宅から離れた下町を中心に甚大な被害を受け、一夜にして10万人が亡くなったとされている。最近では自身のYouTubeチャンネルでも戦争体験を発信している黒柳さん。常に意識しているのは、子どもたちに知ってもらうということ。その姿勢はユニセフの親善大使の活動にも生かされて来た。これまでに約40か国を訪問し、紛争や災害などに巻き込まれた子どもたちに寄り添ってきた。しかし、世界では今も各地で紛争や軍事衝突が絶えず、多くの命が奪われている。黒柳さんはこうした状況が日々報じられることに、社会が慣れてきてはいないかと問いかけている。戦争で理不尽に奪われる命、黒柳さんはインタビューを通じて一貫して戦争の犠牲になる1人1人にかけがえのない人生があることを想像する大切さを話していた。
俳優の黒柳徹子さん。終戦後、テレビ女優第1号としてNHK放送劇団に入団して以降、司会や作家など様々なジャンルで活躍している。これまで折に触れて自身の戦争の記憶を伝えて来た。東京・乃木坂で生まれた黒柳さんの戦争体験。それは12歳で終戦を迎えるまでの間、毎日不安な気持ちで過ごしたことだという。中でも鮮明に覚えているのは1945年3月10日未明の東京大空襲。当時の自宅から離れた下町を中心に甚大な被害を受け、一夜にして10万人が亡くなったとされている。最近では自身のYouTubeチャンネルでも戦争体験を発信している黒柳さん。常に意識しているのは、子どもたちに知ってもらうということ。その姿勢はユニセフの親善大使の活動にも生かされて来た。これまでに約40か国を訪問し、紛争や災害などに巻き込まれた子どもたちに寄り添ってきた。しかし、世界では今も各地で紛争や軍事衝突が絶えず、多くの命が奪われている。黒柳さんはこうした状況が日々報じられることに、社会が慣れてきてはいないかと問いかけている。戦争で理不尽に奪われる命、黒柳さんはインタビューを通じて一貫して戦争の犠牲になる1人1人にかけがえのない人生があることを想像する大切さを話していた。