原爆投下の6年後に広島で発表された作文集「原爆の子」。作文を寄せた子どもの一人、坂口さんは、原爆が投下された当時、小学5年生だった。疎開していて無事だったが、両親など家族6人を亡くした。坂口さんは、苦しみも悲しみも知らない太田川の水になりたかったなどと書いていて、死んだ兄弟がみんな川で泳いでいたことを思い出して書いたなどと話した。写真家の土田さんは、作文を寄せた子どもたちのその後の姿を50年前から継続して記録している。これまでに2度、その後の姿を写真集にまとめてきた。ことし、最後の記録を残そうとしている土田さん。訪ねたのは、これまでも取材に応じてきた坂口さんのもと。坂口さんの妻も、作文を寄せた子どもの一人だったが、土田さんの取材には多くを語らず、去年亡くなった。坂口さんの妻は、原爆の怖さや悲惨さは簡単に表現できるものではなく、体験した者でなければわからないと話していたという。この日、土田さんが訪ねたのは、4歳のときに被爆した寺迫さん。夫婦でパン屋を営んできた寺迫さんを記録してきた。寺迫さんは、被爆したことは友達にもあまり言わない、原爆手当をもらっていると、元気なのになぜ手当をもらうのかと言われる、出産のときは、子どもへの影響が不安でノイローゼのようになったなどと涙ながらに話した。土田さんは、時間が経つほど、歴史の中に埋没することになるのではないか、広島の問題は記録として残さないといけないなどと話した。土田さんは、前回2005年に取材した29人の被爆者を中心に連絡を試みているが、すでに亡くなっている人も多く、ことし撮影できたのは7人に留まっているという。