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「ハッピー・ハウス」 のテレビ露出情報

1978年に伝説のバンドのサンハウスのギタリストだった鮎川誠が中心となり、ボーカリストにシーナを迎え結成したシーナ&ザ・ロケッツは、1979年10月に細野晴臣プロデュースのもと、YMO 全面バックアップのアルバムの真空パックをリリース。鮎川誠はシーナとの出会いにふらっと入った店でたまたまやっていたのがサンハウスだったと答え、シーナがバンドを褒めてくれたことに音楽をわかっていると感じたという。当時お洒落でかっこいい人で、こんな子を引き連れて歩いたら自分がカッコいいと思えたと答えた。
鮎川はシーナの実家に挨拶に行った際に娘の将来をどうするか両親に聞かれ、背中を押してくれたと答えた。さらに東京にいる間は全てが貴重だったと答え、シーナのと一緒にアパートを借りてその間に楽曲をメンバーたちと作っていたという。その曲で初ステージのりチャンスが来たという。シーナはその時に初ステージで人前でも歌ったことはなかったが肝が座っていると感じたと答えた。レコードを作る際にはグループの方向性が決まる設計図をつくりグループ名も決まったと答えた。
鮎川誠の娘の鮎川陽子は、鮎川誠の父はアメリカの軍人で、久留米の駐在している兵隊だったという。父は母にアメリカに行くことを誘ったが、母は行きたくないとと答えたという。息子は自分1人で育てると決めて日本で祖母と育てていたという。鮎川知慧子は親はたくさん遊んでくれたと答え、新曲を作る際には音を鳴らしていたと答えた。

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