天下を統一した豊臣秀吉は中国・明への出兵を考えた。中国征服を目論んでいた宣教師たちは軍船の貸し出しを申し出た。1592年に豊臣秀吉は中国征服の足がかりとして朝鮮へ出兵した。中国・明は朝鮮を援助して大戦争となった。多くのキリシタン大名が犠牲となったが、秀吉は朝鮮出兵を利用して、勢力を増していたキリシタン大名を力を削減させようとしていたとみられる。秀吉は朝鮮出兵の戦費を賄うためにスペインの植民地だったフィリピンも狙っていた。アジアを発火点として世界最初の世界戦争の危機が訪れたが、1598年にスペインのフェリペ2世と豊臣秀吉が死去したことで危機は去った。