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「フランクリン ・ルーズベルト」 のテレビ露出情報

1944年1月、イギリスの港に多数のアメリカの将兵が降り立った。送り込まれたのは総勢150万。大量の軍事物資もともに送られ、ノルマンディー上陸作戦の準備が進められた。この作戦を立案したのは独ソ戦を戦っていたソ連のスターリン。西側からドイツを攻撃しドイツの兵力を二分するようルーズベルトとチャーチルに要請した。チャーチルはソ連のための作戦に反対だったが、ルーズベルトはソ連が対日作戦に参加することを期待し賛同した。作戦のため編成された軍にはアメリカ、イギリスだけでなく、フランス、カナダなど多国籍の兵士たちがいた。最高司令官に選ばれたのはアメリカのドワイト・アイゼンハワー。柔和な笑顔で誰とでも親しく振る舞えるアイゼンハワーは多国籍軍をまとめあげるのに適していた。ノルマンディー上陸作戦の準備を進める連合軍の動きはドイツ側も察知していた。ヒトラーは連合軍の上陸を防ぐため防衛拠点の建設を指示。ノルウェーからフランスまでの海岸線に南北2700キロにわたって砲台などを建設した。連合軍はドイツに上陸地点をさとられないようにする情報戦を開始。ドイツを撹乱し、イギリスから最も至近距離にあるパ・ド・カレーに警戒を集中させようとした。空気で膨らむゴム製の戦車などを大量に配置し偽の暗号通信を飛び交わせ、架空の大軍団をでっちあげた。
情報戦の鍵を握ったのはスパイたちだった。イギリスは数多くのスパイをドイツへ派遣。最も活躍したと伝えられるスパイがフアン・プホル・ガルシア(コードネーム:ガルボ)。彼は二重スパイだった。ドイツのスパイとして活躍するふりをしながら実はイギリスの指示を受けて偽の情報を流していた。ヒトラーから勲章が授与されるほどの信頼を得たガルボの偽情報はドイツ軍に浸透していった。軍上層部は連合軍の上陸地点をパ・ド・カレーとし、軍を重点的に増強した。ヒトラーは連合軍を翻弄した実績のあるエルヴィン・ロンメル陸軍元帥を派遣。パ・ド・カレー以外の地点への上陸も疑ったロンメルはノルマンディー一帯に棒状の障害物を設置、棒の先には爆弾が取り付けられていた。満潮時は海面の下に隠れ、上陸挺が接触すると爆発する仕組みになっていた。さらに沖合には無数の機雷を設置、パラシュート部隊が降下できないよう陸地を水浸しにした。連合軍側は作戦決行日を、「月の出が遅い」「夜明けに干潮」である条件を満たす6月5日に決定。作戦決行前日、連合軍司令部に「6月5日から季節外れの悪天候になる」との情報が入った。延期した場合、次に作戦を実行できるのは最低でも2週間後。アイゼンハワーは作戦決行か中止か、思い悩んでいたが、一方、ドイツ軍は悪天候の予報に警戒をゆるめていた。ロンメルはヒトラーと会談するため、一旦ノルマンディーを離れてドイツへ戻った。その時、アイゼンハワーの元に低気圧の速度が落ち「36時間程度天候が回復する」との吉報が入る。アイゼンハワーはイギリス気象班の情報を信じ、予定より1日遅れの6月6日を作戦決行日に設定した。アメリカにより気象予報の正確な把握を制限されていたドイツは一時的な天候の回復の情報をつかめなかった。6月5日、フランスに向けてイギリスBBCラジオから詩人・ヴェルレーヌの詩の一節が放送された。それは「48時間以内に上陸開始」を伝える連合軍の暗号だった。
実はドイツ軍もこの暗号を解読していた。しかし、悪天候を信じ込んでいた司令官たちはこの情報を軽視。ロンメルやノルマンディー地方の部隊に警告を発することはなかった。6月6日午前0時15分、空挺部隊の降下が開始。風にあおられ予定していた地点から大きくそれて着陸する兵士が続出し、木にひっかかる者やロンメルの作った沼で溺れ死ぬ者が大勢いた。無事に降り立った兵士たちは一部の砲台や拠点を占拠することには成功したが、大きな戦果はあげられなかった。初日だけで2500人以上が死傷した。海上には5000隻の艦船が集結。夜明けとともに艦砲射撃が始まった。しかし、霧のため視界が悪く、ドイツ軍陣地への打撃は限定的だった。午前6時30分アメリカ部隊のオマハビーチへの上陸が開始。干潮時を選んだことで陸までは数百mもの距離があり、水を含んで重くなった荷物を背負った兵士たちは次々と降り注ぐ銃弾の餌食となった。オマハビーチの攻撃第一波の死傷率は90%に達し「ブラッディ・オマハ(血まみれのオマハ)」と呼ばれた。一方、ドイツ軍の高官たちはノルマンディー攻撃の知らせが届いても連合軍の陽動作戦であると信じ続けた。アメリカ軍上陸から1時間後の午前7時30分頃、イギリス・カナダ部隊の上陸が開始。水陸両用戦車や地雷除去戦車が活躍し内陸部への進出していった。陽動作戦でないと悟ったドイツ軍の現場指揮官たちは内陸部の戦車部隊の出動を要請。しかし戦車部隊はヒトラーの命令がないかぎり動けない状態にあり、不眠症に悩んでいたヒトラーの眠りを妨げることを恐れた側近たちはヒトラーを起こすことをためらった。これが致命的な遅れとなる。奇襲の知らせを受け急いでノルマンディーへと戻ったロンメルが到着したのは夜更けだった。アメリカ軍の苦戦が続くオマハでは海軍が奮闘。駆逐艦が被弾覚悟で海岸に接近しドイツの主力砲台を撃破した。上陸部隊も決死の突撃を続け、オマハビーチはついに陥落。連合軍は一日ですべての海岸を制圧した。翌日、連合軍は港のないノルマンディーに人工の港を建設。圧倒的な物量を前にドイツ軍にもはや挽回の手立てはなかった。第2次世界大戦の趨勢は決した。ノルマンディー上陸作戦の連合軍の死者は4500人、負傷者は6000人。アイゼンハワーは5万人の損害も覚悟していたが想定をはるかに下回る結果となった。連合国側は勝利の知らせに沸いたが、作戦の際、ノルマンディー近隣の町までもが破壊されていたことは伝えられなかった。作戦により、フランスの民間人は3万5000人が死亡した。アイゼンハワーは一躍国民の英雄になった。8年後の1953年には大統領に就任した。
2023年7月、かつてソード・ビーチと呼ばれた海岸で元兵士レオン・ゴーティエさんの葬儀が執り行われた。葬儀にはマクロン大統領も参列。ゴーティエさんはノルマンディー上陸作戦に参加したフランス兵最後の一人だった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年3月28日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニングGOOD!いちおし
昭和のブーム“切手収集”。切手コレクター歴約50年の坪井直樹アナウンサーの切手コレクションを専門家が鑑定。切手コレクター歴約40年・板橋祐己さんのストックブックは約百数十冊。切手収集のトータル金額は“年収2年分”。1964年発行「第18回オリンピック競技大会記念」を紹介。発行目的に合致した使用履歴(消印)にも注目。選手村内の郵便局から西ドイツに宛てたはがきは[…続きを読む]

2025年3月25日放送 22:00 - 23:00 TBS
スーツケースが閉まらない!買い物好き 仲里依紗&ぺえ ハワイでドカ買いSP
ロイヤル ハワイアンは約100年の歴史がある格式高いホテルで、マリリン・モンローなど世界的スターが宿泊したことでも有名。ここで人気なのがピンクグッズの店「TRHインスパイアード」。ぺえが気になったのはピックルボールの道具。ピックルボールはアメリカでブームになっている卓球とテニスの間のようなスポーツ。この店では、ぺえはバスタオルを購入。仲里依紗は「スーツケース[…続きを読む]

2025年3月24日放送 5:45 - 7:05 テレビ東京
モーサテプロの眼
テーマ「最低賃金引き上げがもたらす経済効果」について渡辺努の解説。連合が21日に発表した春闘の第2回集計結果は賃上げ率が5.4%と去年と同じ時期を上回っている。今年の春闘の注目点は賃上げが中小まで広がるかどうかというところだと思う。大企業には及ばないが中小企業の差は縮まっている。中小企業の賃金上昇のためのポイント、大事なのは最低賃金。最低賃金が引き上げられれ[…続きを読む]

2025年3月16日放送 11:50 - 12:00 テレビ朝日
ANNニュース(ニュース)
アメリカ・トランプ大統領は不法移民の強制送還を加速させるため、第2次大戦中に日系人を強制収容した際に使われた法律「敵性外国人法」を活用すると発表。トランプ政権はこの法律でベネズエラの犯罪組織の強制送還を進める見通し。1941年の真珠湾攻撃を受け、ルーズベルト大統領が署名した法律により当時米国に住む日系人は敵とみなされ強制収容された。カリフォルニア州の強制収容[…続きを読む]

2025年3月13日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀バタフライエフェクト)
1942年のベルリンで国民の戦意高揚を目的としたチャリティーイベントが行われた。ドイツ軍は街頭に兵器を展示して拡大する戦争へのさらなる支援を求めた。ドイツはソ連を撃破していき、スターリングラードまで来た。ドイツ軍の兵はソ連軍を圧倒し、街の90%を支配した。しかし長期間の戦争でドイツ軍は疲弊していた。一方でソ連はアメリカの支援を受けており、そこから反撃作戦が行[…続きを読む]

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