いとうあさこと若槻千夏が登場。いとうあさこは27歳で芸人になり40歳でブレイク。その当時からオードリーとは知り合いだったという。いとうはオードリーについてはナイスミドルというコンビ名から知っていたが、感覚としてはオードリーはテレビの人と答えた。若林はいとうが若手の頃から話しかけてくれていたと語り、ネタ見せなどでもよくあっていたという。いとうは若手の頃にオードリーと海外で海賊版の製品を懲らしめるというロケをして、自分たちのお笑いDVDの「まめ」の海賊版DVDがあったという。次に話題は若槻が自身が出演している上田と女が吠える夜について。若槻は元気に見えると言われたが、司会の上田晋也が元気だと答え、話を作ってでもいいので笑わせてあげたくなるという。いとうもその番組に出演しているが席が離れているので大きい声を出していると答えた。また運動をしている?という話題にいとうが単独ライブで毎回踊っているという話になり、若槻はNiziUを踊ってい姿をみたと答えた。いとうはそういったダンスの練習は一人で行っているというが、規模が大きい場合は公民館かカラオケボックスを借りるという。
若林はそうした作業場を別でもち始めたが春日が素足で上がってきて嫌だと答えた。いとうは自身で行う単独ライブについて、ケガをして中止にならないかと逃げたくなる日があるという。その時は全部の爪をかんでしまう時があるという。さらに上田と女が吠える夜について若槻といとうは、最初の頃は3本撮りだったので、最後の方は疲弊して皆の声が聞こえなくなるという。さらに若槻は出演者たちはオンオフの激しい人たちではなく、根っからの陽じゃないとあの番組はもたないという。また、若林が前回番組でネガティブな様子をみせていたので元気づけたいと答えた。テレビに飽きてきたという発言に心配しているというが、若林に限界はまだ来ていないはずだと勇気づけた。また若槻はアパレルも事業として行っていて、かなり多忙だがそこはしっかり調整しているという。しかし自身のアパレルの服を来て収録に臨んだところ、ピンマイクをつけたまま帰宅してしまったと答えたが、そのことでしっかり叱られたという。いとうはテレビの世界についてずっと売れないと思ってやっていたので、ふとした時に今のこの状況にびっくりする瞬間があるという。また脱いで笑いを取ろうなどという考えは、体が生々しく笑えないと思っていたが、実際はウケたという。また朝4時30分に起きてしまうが、実際はちゃんと寝ていたいと答えた。
いとうは街で声をかけられたらどう対応するか?について皆の近所の人だと思われているので気さくに話しかけられるという。若槻は一日のスケジュールに午前中は会社で仕事をし午後に収録に臨むという。会社ではデザインをずっと投げ続けていると言う。また、復帰直後、番組では当時のバラエティを分析していたが、今はもうしていないと答えた。その理由には一人だけ熱いのが恥ずかしいと答え、芸歴が長いのにずっとそれをしていること、さらに今やりたかった番組に携われている安心感などがあり、やめることにしたという。また若林が番組の反省について全くしなくなったというが、若槻は今は次のステップに移行している最中だとポジティブな言葉をかけた。
いとうは時代の変化を感じる?にあまり気にしていないが自分が年齢を重ねると自分が変化する上にそもそも、40歳という遅咲きすぎて時代に一回ものれていないという。また若槻は現在大手事務所となったプラチナムプロダクションの第一号のタレント。後輩が増えていく中で皆に気を遣われるというが、40歳になった現在気を遣われすぎてしまい、ソレを相談するといつも独立していなかったのかと言われるほど事務所に所属している感じがないと言われるという。その後独立したが、当初は社長が第一号として娘のように扱ってくれていたためにやめる考えはなかったが、今の年齢になってお互いの考えが一致し円満退社をしたという。いとうは辞めるのは勇気がいると答えたが、変化をする人はすごいと答えた。また若槻はテレビなどの収録の変化について、自分が最年長になっていて、若い人たちが挨拶にくるという。さらに皆が思ったより自分に気を遣っていると答えた。そこで自分で環境を変化させる必要があると感じたという。
また若槻は一時期芸能活動を休止していたが、いとうらはそんな記憶がないほどだと答えた。実際若槻は10年ほど芸能界を離れていたが、その理由は仕事のやりすぎて一日9本仕事していたという。それが数年続き、それが当たり前だと思ってやっていたという。また当時はかなりイジられていたが、20代前半はモテたい時期であり、その葛藤もあったという。しかし活動を休止している間も芸能界にはずっと戻りたかったと答え、まずは女性タレント一覧をプリントアウトして分析を始めたという。しかしその時はまだ数が多かったので少ない時期を狙って芸能界に再び飛び込んだという。また自身が日常生活で芸能生活に向いている部分をひしひしと感じたと答えた。また明石家さんまに休んだやつは声がこもっているが、お前の声の出方は復帰できると言ってくれたと答えた。またいとうは落ち込むか?について反省をするが後悔は時間がもったいないと答え、また忘れることも50歳にして大いにできるようになったと答えた。また終活についていとうは墓を見学したことがあったが、墓は作っても継ぐ人はいないと答えた。またそれならと木の下に骨を粉に入れればいいと思ったが、ニュースである霊園の不正が発覚し、霊園の樹が抜かれている光景に怖くなったという。またおちゃらけた写真のほうが遺影は遥かに泣けると答えた。
若林はそうした作業場を別でもち始めたが春日が素足で上がってきて嫌だと答えた。いとうは自身で行う単独ライブについて、ケガをして中止にならないかと逃げたくなる日があるという。その時は全部の爪をかんでしまう時があるという。さらに上田と女が吠える夜について若槻といとうは、最初の頃は3本撮りだったので、最後の方は疲弊して皆の声が聞こえなくなるという。さらに若槻は出演者たちはオンオフの激しい人たちではなく、根っからの陽じゃないとあの番組はもたないという。また、若林が前回番組でネガティブな様子をみせていたので元気づけたいと答えた。テレビに飽きてきたという発言に心配しているというが、若林に限界はまだ来ていないはずだと勇気づけた。また若槻はアパレルも事業として行っていて、かなり多忙だがそこはしっかり調整しているという。しかし自身のアパレルの服を来て収録に臨んだところ、ピンマイクをつけたまま帰宅してしまったと答えたが、そのことでしっかり叱られたという。いとうはテレビの世界についてずっと売れないと思ってやっていたので、ふとした時に今のこの状況にびっくりする瞬間があるという。また脱いで笑いを取ろうなどという考えは、体が生々しく笑えないと思っていたが、実際はウケたという。また朝4時30分に起きてしまうが、実際はちゃんと寝ていたいと答えた。
いとうは街で声をかけられたらどう対応するか?について皆の近所の人だと思われているので気さくに話しかけられるという。若槻は一日のスケジュールに午前中は会社で仕事をし午後に収録に臨むという。会社ではデザインをずっと投げ続けていると言う。また、復帰直後、番組では当時のバラエティを分析していたが、今はもうしていないと答えた。その理由には一人だけ熱いのが恥ずかしいと答え、芸歴が長いのにずっとそれをしていること、さらに今やりたかった番組に携われている安心感などがあり、やめることにしたという。また若林が番組の反省について全くしなくなったというが、若槻は今は次のステップに移行している最中だとポジティブな言葉をかけた。
いとうは時代の変化を感じる?にあまり気にしていないが自分が年齢を重ねると自分が変化する上にそもそも、40歳という遅咲きすぎて時代に一回ものれていないという。また若槻は現在大手事務所となったプラチナムプロダクションの第一号のタレント。後輩が増えていく中で皆に気を遣われるというが、40歳になった現在気を遣われすぎてしまい、ソレを相談するといつも独立していなかったのかと言われるほど事務所に所属している感じがないと言われるという。その後独立したが、当初は社長が第一号として娘のように扱ってくれていたためにやめる考えはなかったが、今の年齢になってお互いの考えが一致し円満退社をしたという。いとうは辞めるのは勇気がいると答えたが、変化をする人はすごいと答えた。また若槻はテレビなどの収録の変化について、自分が最年長になっていて、若い人たちが挨拶にくるという。さらに皆が思ったより自分に気を遣っていると答えた。そこで自分で環境を変化させる必要があると感じたという。
また若槻は一時期芸能活動を休止していたが、いとうらはそんな記憶がないほどだと答えた。実際若槻は10年ほど芸能界を離れていたが、その理由は仕事のやりすぎて一日9本仕事していたという。それが数年続き、それが当たり前だと思ってやっていたという。また当時はかなりイジられていたが、20代前半はモテたい時期であり、その葛藤もあったという。しかし活動を休止している間も芸能界にはずっと戻りたかったと答え、まずは女性タレント一覧をプリントアウトして分析を始めたという。しかしその時はまだ数が多かったので少ない時期を狙って芸能界に再び飛び込んだという。また自身が日常生活で芸能生活に向いている部分をひしひしと感じたと答えた。また明石家さんまに休んだやつは声がこもっているが、お前の声の出方は復帰できると言ってくれたと答えた。またいとうは落ち込むか?について反省をするが後悔は時間がもったいないと答え、また忘れることも50歳にして大いにできるようになったと答えた。また終活についていとうは墓を見学したことがあったが、墓は作っても継ぐ人はいないと答えた。またそれならと木の下に骨を粉に入れればいいと思ったが、ニュースである霊園の不正が発覚し、霊園の樹が抜かれている光景に怖くなったという。またおちゃらけた写真のほうが遺影は遥かに泣けると答えた。