登山家である野口健が「ヒマラヤに学校を」をテーマに講演を実施。野口は30年間で毎年数回、計50回以上ヒマラヤに行っており、当時世界各国が世界初登頂を狙って様々な山を攻略しているなか、貧しい日本隊が初登頂に成功したマナスルは日本中で話題となり記念切手にもなったなどと振り返った。野口はエベレストでの清掃登山を経て、マナスルの清掃登山を初登頂50周年となる2005年に開始し、麓の村に現地入りした際、現地の子供達にガイドを通して将来の夢は何かを聞いたが、現地では夢という概念がないことを知ったのだと明かした。野口は自分の場合では幼少期に見た本から想像して夢に結びついたことを思い出し、マナスル周辺には学校がなく、それでも本を読んで夢を思い描いてほしく学校を作ることにしたのだなどと伝えた。野口は学校建設を現地の人々に提案した時に歓迎されず、子どもたちは重要な労働力になっていたりと様々な角度から批判され、長期戦を覚悟してゴミを拾うことから教育を開始して関係性を築いたなどと説いた。
野口はゴミ拾いを教えるためにマナスル麓の村に通うようになってから2年が経過した時、再び学校建設を提案するとやってみようと受け入れてくれたなどと語った。野口は学校建設を開始した際、少数の建築家と村人総出で手作業し、約1年間で学校が完成したなどと伝えた。野口は学校に通った子どもたちは卒業する頃には各々に夢を抱くようになったのだと述べた。野口は学校内でも現地ではカーストがあり、教室ではなく外で授業を受け、食事も外で食べている子どもが居り、現地の文化であることは承知であったが学校内ではカーストを度外視して皆が平等な環境で過ごせるよう協議し、様々条件が付いたものの1年後には全子どもが同じ環境で学校生活を送れるようになったなどと説いた。
野口はカーストがなくなり子どもたちが一緒に遊ぶようになると、その両親たちにも交流が生まれ、村全体でカースト制度が過去になりつつあり、柔軟な子どもたちが変わると大人の社会も変わっていく可能性があるなどと語った。
野口はゴミ拾いを教えるためにマナスル麓の村に通うようになってから2年が経過した時、再び学校建設を提案するとやってみようと受け入れてくれたなどと語った。野口は学校建設を開始した際、少数の建築家と村人総出で手作業し、約1年間で学校が完成したなどと伝えた。野口は学校に通った子どもたちは卒業する頃には各々に夢を抱くようになったのだと述べた。野口は学校内でも現地ではカーストがあり、教室ではなく外で授業を受け、食事も外で食べている子どもが居り、現地の文化であることは承知であったが学校内ではカーストを度外視して皆が平等な環境で過ごせるよう協議し、様々条件が付いたものの1年後には全子どもが同じ環境で学校生活を送れるようになったなどと説いた。
野口はカーストがなくなり子どもたちが一緒に遊ぶようになると、その両親たちにも交流が生まれ、村全体でカースト制度が過去になりつつあり、柔軟な子どもたちが変わると大人の社会も変わっていく可能性があるなどと語った。