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「ミュージック・ライフ」 のテレビ露出情報

戦後、海外の音楽を広く紹介してきた湯川れい子。1964年、海外旅行が解禁されるといち早く単身米国へ行った。海外の音楽やアーティストについて雑誌やラジオなどを通して発信。音楽評論家、作詞家、エッセイスト等様々な顔を持っている。原点はラジオ。1978年1月「FMコンサート」の音声を紹介。湯川れい子のラジオ人生が始まったのは昭和36年。日本初の女性DJ。湯川れい子は昭和11年東京生まれ。4人兄姉の末っ子。戦争が始まり音楽が制限され、米国や英国の音楽は敵性音楽として禁止された。米国の最先端の音楽を紹介し日本の洋楽カルチャーをけん引してきた湯川れい子。兄は“敵性音楽”とされていたアメリカや音楽に強い憧れがあり「兄の存在そのものが、私は遺書を残されたような感じ。今でも兄とは一緒に仕事をしているような気がします」と語る。湯川れい子は「最初に米軍放送を通してエルビス・プレスリーの『ハートブレイク・ホテル』というデビュー曲を聴いたときに、なんかシュワシュワと寒くなって『何これ!?』という衝撃。そのころジャズを聞いてましたから全く新しい音楽だったんです」とコメント。プレスリーとの写真は生涯の宝物だそう。プレスリーとの出会いによって、夢を持つことの大切さを実感したという。ビートルズが来日した際には日本武道館が初めてコンサート会場として使われ、3日間で5万人の観客が詰めかけた。湯川れい子は今月89歳を迎える。

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