鳥取県米子市で活動する山陰少年少女合唱団リトルフェニックスは小学生から高校生20人が所属。指導するのは原礼子さん。世界へ飛びたい子どもたちを育てようと1959年に設立され、その活動は海外にまで広がっている。厳しい指導をうける子どもたち。そこに笑顔はない。原さんは厳しく指導する理由に言いたいことを言わないと後で困ってしまうという。原さんはリトルフェニックスを半世紀指導し続けているが65年も活動している。公民館などでも歌の教室の講師をし、合唱団と共通するのはそれぞれの人生を歌を通して実りあるものにしてほしいという原さんの思いがある。
米子市の隣の島根県安来市に住んでいる原さん。パートナーの万輔さんと息子の3人で暮らしている。家族が出かけると原さんが向かうのは台所。 歌の指導の合間を縫って家族の食事の準備を行っている。原さんが合唱を始めたのは10歳のころ。東京藝術大別科で声楽を学びイタリア留学も経験。その後地元に戻り、歌一筋の人生を送ってきた。初めての海外から30年近く経過し、指導をし続けて半世紀。歌の指導がなければなるべく家族で出かけるという。合唱団が遠征するための助成金のため、鳥取県庁を訪れた原さんは助成金の交渉を行った。原さんの息子は知的障害があり、10年ほどまえに養子にした。自分を信じて走り続けてきた76年だという。
去年7月にはクロアチアの音楽祭の出演依頼があった。その本格的な準備が始まった時には一ヶ月をきっていた。訪ねてきたのはクロアチアの合唱団指導者。クロアチアからわざわざやってきたのはクロアチア語の歌の指導。合唱団がクロアチア語に触れるのは初めてのこと。なれない発音に戸惑いながら徐々に歌声が揃っていく。そしてリトルフェニックスはクロアチアへ。クロアチアはイタリアの対岸に位置し、飛行機で16時間、ザグレブにやってきたが1985年発足の文化事業で各地で音楽などを開催。大使を前に歌声を披露した。合唱を行うのはリエカ市。地元の合唱団を対面し、交流を図った。そして一緒に歌うことに。地元の小学校ではクロアチアの文化を学び歌を披露した。さらに高齢者施設でも歌を披露した。他にも夜に子どもたちはホームステイをした。
迎えた音楽祭当日。リエカ市役所にリトルフェニックスが公式訪問。リハーサルがスタートし原さんも子どもたちを指導。そして歌の披露が行われた子どもたちの成長が垣間見えた。
米子市の隣の島根県安来市に住んでいる原さん。パートナーの万輔さんと息子の3人で暮らしている。家族が出かけると原さんが向かうのは台所。 歌の指導の合間を縫って家族の食事の準備を行っている。原さんが合唱を始めたのは10歳のころ。東京藝術大別科で声楽を学びイタリア留学も経験。その後地元に戻り、歌一筋の人生を送ってきた。初めての海外から30年近く経過し、指導をし続けて半世紀。歌の指導がなければなるべく家族で出かけるという。合唱団が遠征するための助成金のため、鳥取県庁を訪れた原さんは助成金の交渉を行った。原さんの息子は知的障害があり、10年ほどまえに養子にした。自分を信じて走り続けてきた76年だという。
去年7月にはクロアチアの音楽祭の出演依頼があった。その本格的な準備が始まった時には一ヶ月をきっていた。訪ねてきたのはクロアチアの合唱団指導者。クロアチアからわざわざやってきたのはクロアチア語の歌の指導。合唱団がクロアチア語に触れるのは初めてのこと。なれない発音に戸惑いながら徐々に歌声が揃っていく。そしてリトルフェニックスはクロアチアへ。クロアチアはイタリアの対岸に位置し、飛行機で16時間、ザグレブにやってきたが1985年発足の文化事業で各地で音楽などを開催。大使を前に歌声を披露した。合唱を行うのはリエカ市。地元の合唱団を対面し、交流を図った。そして一緒に歌うことに。地元の小学校ではクロアチアの文化を学び歌を披露した。さらに高齢者施設でも歌を披露した。他にも夜に子どもたちはホームステイをした。
迎えた音楽祭当日。リエカ市役所にリトルフェニックスが公式訪問。リハーサルがスタートし原さんも子どもたちを指導。そして歌の披露が行われた子どもたちの成長が垣間見えた。