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「リンゴの唄」 のテレビ露出情報

1945年9月6日の東京の映像が流れた。これは終戦から3週間後の様子だという。アメリカ軍の空襲によって東京では10万人以上が命を落とし、市街地の半分は消失したという。そうした中で尾津喜之助は戦後東京でいち早く闇市を開いたという。こうした闇市は組が行っており、組はみかじめ料を取っていたという。
焼け跡の東京には別世界もある。GHQは進駐と共に850軒の土地や建物を接収した。水洗トイレのある資産家の邸宅はすぐに接収されて将校家族の住まいになった。帝国ホテルは兵士たちの宿舎になり、日本人の立ち入りは禁止された。
1945年11月。東京に終戦後初の冬が近づいていた。病気と飢えで死者が出る状況で、毎日のように死者が出たという。中でも悲惨だったのが戦争で夫を亡くした女性たちだ。この頃戦後初のヒット曲が生まれた映画「そのかぜ」から出た「リンゴの唄」だ。そしてこの頃、戦地からの復員も始まっていた。そのため食糧不足は一層深刻になり、闇商売に身を投じる人もいた。
40万人になる占領軍上陸に当たって性犯罪をおそれた日本政府はその対策として、政府公認の売春施設やキャバレーを管理する組織を作った。ただ占領軍の家族に反対によってこうした施設は中止された。そのため仕事を失った女性は路上で客を取るようになった。
1946年1月。終戦後初めての新年を迎えた。そこには晴れ着を着る女性の姿があった。そして昭和天皇は1946年2月から全国への巡幸を開始した。敗戦から立ち上がろうとする国民を励ますためだ。一方で宗教活動が自由になり、600もの新しい宗教が生まれたという。
終戦から半年近くになり、食料不足は一層深刻になっていった。3週間以上配給が行われないこともあったという。そうした中で板橋の陸軍倉庫から隠匿物資が大量に発見されたという。他にも外務省で隠匿物資が見つかったという。人々の怒りは頂点に至り、天皇に直訴し、食糧メーデーが起きた。GHQは日本の共産化を恐れて大衆運動を取り締まるようになったという。
戦争中は政府の指揮下にあった放送はGHQによって大衆に開放された。一方で闇市は大規模な摘発が始まった。ただ闇市があった場所はその後の復興の出発点にもなった。そして1946年4月10日には男女普通選挙が行われたという。またこの時期に服部良一の曲「東京ブギウギ」がヒットしたという。さらに坂口安吾は敗戦から一歩を踏み出す言葉「堕落論」が戦後の人々の共感を得たという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月11日放送 19:00 - 21:54 日本テレビ
日本人を支えた80年80曲日本人を支えた80年80曲
昭和20年代の戦後を支えた名曲を紹介。1945年は並木路子「リンゴの唄」、1946年は岡晴夫「東京の花売娘」、1947年は笠置シヅ子「東京ブギウギ」、1948年は岡晴夫「憧れのハワイ航路」、1949年は高峰秀子「銀座カンカン娘」、1950年は美空ひばり「東京キッド」、1951年は灰田勝彦「野球小僧」、1952年は美空ひばり「お祭りマンボ」、1953年はトニー[…続きを読む]

2025年6月23日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本地域発ニュース
青森・弘前で花火大会が行われた。今年は昭和100年、青森りんご150年ということで、「リンゴの唄」に合わせてりんごの形をした花火が打ち上がった。

2025年3月9日放送 12:15 - 13:00 NHK総合
NHKのど自慢(NHKのど自慢)
出場者がリンゴの唄(並木路子)を披露した。

2025年1月26日放送 3:00 - 3:01 NHK総合
放送100年 1分クイズ放送100年クイズ
クイズ「1945年、あるラジオ番組で放送され、戦後初の大ヒットとなった曲は?」が出題。正解は「並木路子が歌うリンゴの唄」。終戦から2カ月後に始まった「希望音楽会」に同曲のリクエストが殺到した。

2024年12月31日放送 19:20 - 23:45 NHK総合
NHK紅白歌合戦第75回 NHK紅白歌合戦
来年3月でラジオ放送開始から100年となる。1970年代に若者が夢中になった深夜ラジオからヒットした「神田川」と「なごり雪」。今夜は南こうせつとイルカがスペシャルセッションする。

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