千葉・銚子市の圓福寺には鎌倉時代初期につくられた源氏物語の「幻」の写本が所蔵されている。平安時代、1枚の和紙をいくつかに分割し、製本された。物語の創作は仏教上、嘘をつく罪と考えられ、和歌、漢詩と比べて劣位だったという。和紙づくりには膨大な時間と労力を要し、長方形よりもコスパのいい正方形で本が作られたと考えられる。番組の調査の結果、源氏物語を作るのに507枚の和紙が使われたと推計。だが、紫式部の日記を紐解くと、清書するまでに下書き、推敲を重ねたといい、書き損じもあったと考慮すると、2000枚以上は必要だったとされる。
平安時代、朝廷が運営していた紙屋院で紙がつくられた。役人が公文書を書くのに使ったため、大河ドラマで時代考証を務める倉本一宏氏は「紫式部が個人的に手に入れたということはない」と話す。また、市場で売られてすらいなかった。紫式部が大量の和紙を手に入れるとするなら、藤原道長が有力候補。国宝に指定されている「御堂関白記」は26年にわたる道長の日記で、十分な和紙を入手できたことを示している。倉本氏は「源氏物語は最初から道長の援助があって書き始めた」、「どれだけ増えても紙はやってくる自信があったから、書き始められた」と推理する。道長は娘の彰子を一条天皇の后にし、天皇が足繁く通うよう、紫式部に源氏物語を執筆させたという。
平安時代、朝廷が運営していた紙屋院で紙がつくられた。役人が公文書を書くのに使ったため、大河ドラマで時代考証を務める倉本一宏氏は「紫式部が個人的に手に入れたということはない」と話す。また、市場で売られてすらいなかった。紫式部が大量の和紙を手に入れるとするなら、藤原道長が有力候補。国宝に指定されている「御堂関白記」は26年にわたる道長の日記で、十分な和紙を入手できたことを示している。倉本氏は「源氏物語は最初から道長の援助があって書き始めた」、「どれだけ増えても紙はやってくる自信があったから、書き始められた」と推理する。道長は娘の彰子を一条天皇の后にし、天皇が足繁く通うよう、紫式部に源氏物語を執筆させたという。