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「三木忠直技術少佐」 のテレビ露出情報

バブル大好き博士ちゃん・中澤くんが新幹線がスピードを生み出すスゴ技を解説する。中澤くんはバブルと同じくらい新幹線が好きで、家のリビングにはネットショッピングでおばあちゃんに買ってもらった秋田新幹線の座席がある。戦前から「弾丸列車計画」という新幹線に近い計画があった。東京を出発して下関を経由、海底トンネルから朝鮮半島、北京まで行く計画だったが、戦争が始まって無くなった。これを下地に戦後、国鉄総裁・十河信二、国鉄技術長・島秀雄が中心となって新幹線が作られた。当時高速鉄道には200km/hを試験的に出すものもあったが、営業運転ではなかった。特急は角ばっており、空気抵抗が生まれる形状だった。初代新幹線は丸みを帯びた流線型のフォルムによって空気抵抗を減らし、200km/hを超えることができた。その後も顔の形は変わり時速も上がっていった。新幹線を設計した三木忠直技術少佐は戦闘機の設計を担当していた。自身が開発した戦闘機などで多くの人がなくなった贖罪の念から国鉄に入社し、技術は平和のために使いたいと初代新幹線の開発に携わった。ほかにも車体の軽量化もスピードアップに貢献した。新幹線0系は1両につき9トンあったが、200系では7.5トンまで減らした。それまでは鋼製が一般的だったが、アルミ合金製の車体の開発に成功し日立製作所で職人が手作りして実現した。この技術が評価され、台湾、イギリス、韓国の高速鉄道の車両も日立が作っている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年10月25日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
ライト兄弟が空へと飛び立った1903年、群馬県の豊かな農家に堀越二郎は生まれた。第一次世界大戦真っ只中に幼少期を過ごした堀越は、雑誌で紹介される新兵器・飛行機に夢中になる。成長した堀越は東京帝国大学を経て航空機メーカーの三菱重工業へ入社を果たし、2年後には欧米で最先端の航空科学を学んだ。昭和11年、堀越は自身にとって初となる戦闘機「九六式艦上戦闘機」を設計。[…続きを読む]

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