世界的金融企業に就職した杉田は、家族とともに怪我をした因縁の菅平高原に訪れていた。その事をかつての仲間に報告すると、富士山に登ろうとメッセージがきた。杉田は10年前に林雅人監督と富士登山を約束しており、監督もラグビー部全員に話していた。しかし、杉田の体には麻痺が残っていた。
30代になってラグビー部同期の結婚式で、かつてのメンバーと杉田は頻繁に再会するようになった。メンバーから毎回のように富士登山を持ちかけられるので、キャプテン竹本の結婚式で富士登山計画を発表した。富士登山は同期だけでなく、杉田と関わりのある先輩や後輩も参加し2019年8月23日に決行する事にした。決行日当日、初日に9合目を目指して2日間かけて約20名が集まった。後発隊60名は9合目で合流することにし、登山ガイドは登山家の三浦豪太にした。23日と24日は暴風雨だったが、メンバーは「フォーエバー・フレンズ」の掛け声で登山を開始した。帰りは、水陸両用のアウトドア車椅子に杉田を乗せて下山する計画だった。
8月23日、午前5時半に富士山の6合目に到着した。しかし、24日の午前中まで豪雨の予報で当初の日程では富士登山は不可能だった。明日は9合目まで登山し、日曜日に登頂する計画に変更しなければならなかった。しかし、25日は遠方からの参加者もいるので日程をずらすとかなりの人数が欠ける事になる。杉田達は一度は富士登山を諦めかけたが、6合目の山荘に空きがあったので天候回復に望みを託して待機した。すると、8月23日の午前11時から4時間は晴れる事が判明した。これから1番時間かかる7合目まで行けると良いが、7合目の宿は空いていないという。8合目の宿は空いているというので、杉田は車椅子を使って登頂することを選んだ。杉田達は7合目を目指していると、杉田が怪我をした当時4年生だった金井健雄が近づいていた。所属する「サントリー サンゴリアス」ではリザーブになった金井だが、いつも心には杉田がいたという。そして自らも大けがを負った小澤も登り続けた。しかし、進む先には足が不自由な杉田にとって難関の岩場が続いていた。
30代になってラグビー部同期の結婚式で、かつてのメンバーと杉田は頻繁に再会するようになった。メンバーから毎回のように富士登山を持ちかけられるので、キャプテン竹本の結婚式で富士登山計画を発表した。富士登山は同期だけでなく、杉田と関わりのある先輩や後輩も参加し2019年8月23日に決行する事にした。決行日当日、初日に9合目を目指して2日間かけて約20名が集まった。後発隊60名は9合目で合流することにし、登山ガイドは登山家の三浦豪太にした。23日と24日は暴風雨だったが、メンバーは「フォーエバー・フレンズ」の掛け声で登山を開始した。帰りは、水陸両用のアウトドア車椅子に杉田を乗せて下山する計画だった。
8月23日、午前5時半に富士山の6合目に到着した。しかし、24日の午前中まで豪雨の予報で当初の日程では富士登山は不可能だった。明日は9合目まで登山し、日曜日に登頂する計画に変更しなければならなかった。しかし、25日は遠方からの参加者もいるので日程をずらすとかなりの人数が欠ける事になる。杉田達は一度は富士登山を諦めかけたが、6合目の山荘に空きがあったので天候回復に望みを託して待機した。すると、8月23日の午前11時から4時間は晴れる事が判明した。これから1番時間かかる7合目まで行けると良いが、7合目の宿は空いていないという。8合目の宿は空いているというので、杉田は車椅子を使って登頂することを選んだ。杉田達は7合目を目指していると、杉田が怪我をした当時4年生だった金井健雄が近づいていた。所属する「サントリー サンゴリアス」ではリザーブになった金井だが、いつも心には杉田がいたという。そして自らも大けがを負った小澤も登り続けた。しかし、進む先には足が不自由な杉田にとって難関の岩場が続いていた。