- 出演者
- 日村勇紀(バナナマン) 設楽統(バナナマン) 剛力彩芽 武井壮 川田裕美
奇跡体験!アンビリバボーの番組宣伝。
オープニング映像が流れた。
今から12年前の4月、杉田秀之が慶應義塾大学ラグビー部に111代として入部した。杉田は40名いる新入部員の中でも特に期待されていた。地元クラブで注目され、慶應義塾高校に入って神奈川選抜で活躍するなどラグビー部のエースとして活躍していた。しかし、杉田は大学で5軍のスタートで1軍に上り詰めようと、同期に対しても妥協を許さなかったという。さらに誰よりもストイックに練習していた杉田はプロップに選手層が手薄なポジションを変更した。
35泊36日の夏合宿を行ったラグビー部は、最初の2週間を全員での山中湖合宿を行った。その後、40名の選抜メンバーだけがラグビー部合宿の聖地である菅平高原に移動する。杉田も念願の選抜メンバーに選ばれ、村田からもうすぐ1年の主務決めがあると話しかけられた。主務とは部の運営全般を行う重要な役職で、学年ごとに選手同士の投票で選出される。しかし、選ばれると早期に引退する事が多かった。合宿も後半に近づき、慶應義塾ラグビー部チームは関東学院大学と対戦した。試合でスクラムを組んでいたが、杉田が突然動けなくなっていた。
奇跡体験!アンビリバボーの番組宣伝。
奇跡体験!アンビリバボーの番組宣伝。
慶應義塾ラグビー部チームは関東学院大学と対戦したがスクラムが崩れた後に杉田が立ち上がれなくなっていた。ドクターヘリで長野県内の病院に緊急搬送された杉田は、スクラムが崩れた際に相手選手の全体重が首に直撃して頚椎を損傷していた。杉田は歩けない可能性があり、監督に試合を途中で退場した事と富士登山に行けない事をわびていた。杉田はそれから慶應義塾大学病院に転院した。再生医療の第一人者である中村さんのもと、杉田は頚椎の固定手術を行った。杉田は手術から9日後のこと、体に変化があったという。
奇跡体験!アンビリバボーの番組宣伝。
杉田は手術から9日後のこと、動かないはずの右足の指が動いていた。脊髄の辺縁の一部分の神経が残っていたために順調に回復していったが、杉田はラグビー部員のお見舞いで誰もがすぐに帰っていく気がしていた。その後、杉田は脊髄専門患者の病院に転院して手足も動かせるようになった。その一方で杉田の心はすさみ、慶應大学は8年ぶりのラグビー日本一に王手をかけていた。試合も観に行った杉田だったが、その日からラグビー部との連絡を絶ったという。
千鳥の鬼レンチャン、だれかtoなかいの番組宣伝。
奇跡体験!アンビリバボーの番組宣伝。
澤野浩生は杉田に頻繁に連絡をしていた。澤野は2007年9月に主務に選ばれていた。杉田が大学に復学して1年、澤野は杉田をラグビーチームに誘った。澤野は杉田の様子を逐一報告し、部員も杉田の復帰を待ちわびるメッセージを贈っていた。そして2年8ヶ月後、杉田はデータ分析部としてチームに復帰した。そんな中、チームは早慶戦で9年に渡って未勝利だった。むかえた早慶戦当日の朝、杉田が過去のプレー映像からベンチ入りメンバーの好プレーを集めたモチベーションビデオをつくっていた。さらに杉田はメンバーから漏れた4年生のメッセージをもらい、BGMも編集した。
早慶戦でチームは竹本竜太郎のトライで均衡を破り、1年の春に杉田にダメ出しをされた落合陽輔が活躍していた。そしてむかえたノーサイドでは、慶応大学が10年ぶりに優勝していた。チームはその後、日本一を逃すも杉田はかけがえのない日々を過ごせた。同期から遅れること1年で慶應大学を卒業した。杉田はその後、世界的金融会社に就職した。
奇跡体験!アンビリバボーの番組宣伝。
フジ芸人ロックフェスティバル、FODにて生配信。
奇跡体験!アンビリバボーの番組宣伝。
世界的金融企業に就職した杉田は、家族とともに怪我をした因縁の菅平高原に訪れていた。その事をかつての仲間に報告すると、富士山に登ろうとメッセージがきた。杉田は10年前に林雅人監督と富士登山を約束しており、監督もラグビー部全員に話していた。しかし、杉田の体には麻痺が残っていた。
30代になってラグビー部同期の結婚式で、かつてのメンバーと杉田は頻繁に再会するようになった。メンバーから毎回のように富士登山を持ちかけられるので、キャプテン竹本の結婚式で富士登山計画を発表した。富士登山は同期だけでなく、杉田と関わりのある先輩や後輩も参加し2019年8月23日に決行する事にした。決行日当日、初日に9合目を目指して2日間かけて約20名が集まった。後発隊60名は9合目で合流することにし、登山ガイドは登山家の三浦豪太にした。23日と24日は暴風雨だったが、メンバーは「フォーエバー・フレンズ」の掛け声で登山を開始した。帰りは、水陸両用のアウトドア車椅子に杉田を乗せて下山する計画だった。
8月23日、午前5時半に富士山の6合目に到着した。しかし、24日の午前中まで豪雨の予報で当初の日程では富士登山は不可能だった。明日は9合目まで登山し、日曜日に登頂する計画に変更しなければならなかった。しかし、25日は遠方からの参加者もいるので日程をずらすとかなりの人数が欠ける事になる。杉田達は一度は富士登山を諦めかけたが、6合目の山荘に空きがあったので天候回復に望みを託して待機した。すると、8月23日の午前11時から4時間は晴れる事が判明した。これから1番時間かかる7合目まで行けると良いが、7合目の宿は空いていないという。8合目の宿は空いているというので、杉田は車椅子を使って登頂することを選んだ。杉田達は7合目を目指していると、杉田が怪我をした当時4年生だった金井健雄が近づいていた。所属する「サントリー サンゴリアス」ではリザーブになった金井だが、いつも心には杉田がいたという。そして自らも大けがを負った小澤も登り続けた。しかし、進む先には足が不自由な杉田にとって難関の岩場が続いていた。
奇跡体験!アンビリバボーの番組宣伝。