今から12年前の4月、杉田秀之が慶應義塾大学ラグビー部に111代として入部した。杉田は40名いる新入部員の中でも特に期待されていた。地元クラブで注目され、慶應義塾高校に入って神奈川選抜で活躍するなどラグビー部のエースとして活躍していた。しかし、杉田は大学で5軍のスタートで1軍に上り詰めようと、同期に対しても妥協を許さなかったという。さらに誰よりもストイックに練習していた杉田はプロップに選手層が手薄なポジションを変更した。
35泊36日の夏合宿を行ったラグビー部は、最初の2週間を全員での山中湖合宿を行った。その後、40名の選抜メンバーだけがラグビー部合宿の聖地である菅平高原に移動する。杉田も念願の選抜メンバーに選ばれ、村田からもうすぐ1年の主務決めがあると話しかけられた。主務とは部の運営全般を行う重要な役職で、学年ごとに選手同士の投票で選出される。しかし、選ばれると早期に引退する事が多かった。合宿も後半に近づき、慶應義塾ラグビー部チームは関東学院大学と対戦した。試合でスクラムを組んでいたが、杉田が突然動けなくなっていた。
35泊36日の夏合宿を行ったラグビー部は、最初の2週間を全員での山中湖合宿を行った。その後、40名の選抜メンバーだけがラグビー部合宿の聖地である菅平高原に移動する。杉田も念願の選抜メンバーに選ばれ、村田からもうすぐ1年の主務決めがあると話しかけられた。主務とは部の運営全般を行う重要な役職で、学年ごとに選手同士の投票で選出される。しかし、選ばれると早期に引退する事が多かった。合宿も後半に近づき、慶應義塾ラグビー部チームは関東学院大学と対戦した。試合でスクラムを組んでいたが、杉田が突然動けなくなっていた。