横浜 野毛 BEST20の14位は、野毛の2大ピンチ。野毛はかつて町が寂れてしまった時期が2度あった。戦後、野毛には闇市がたち、野毛に行けば何でも揃うと言われ賑わった。そして高度成長期には行専業が活発になった。今のみなとみらいにあった、三菱重工業 横浜造船所の労働者が仕事終わりに野毛でのみ街が大いに栄える。しかし1983年、造船所が移転し、お客さんが激減。野毛飲食業協同組合の田井昌伸さんは、前理事長が大道芸とかイベントを色々を初めて、それで今があるのかなと思うと語った。1986年に始まり今も続く野毛大道芸。しかし2004年に第2のピンチが襲いかかる。それがみなとみらい線の開業に伴う、東急東横線 旧桜木町駅の廃止。東横線ユーザーが野毛に立ち寄らなくなってしまった。すっかりさみしくなってしまった野毛の町。けれどもおしゃれなバーをやっている若い人たちが独立を目指してやってきたという。そんな店の一つがイタリアンバル BASIL。代表取締役の奥山雄さんは、当時は家賃も安くで若い人たちがチャレンジできる街だったと語る。野毛に系列店を増やし、街に新しいお客さんを呼び込んだ。山田五郎は、若い人を集めるのはおしゃれな再開発より家賃が安いこと、それが一番だと語った。