3月12日、午前5時、保たちは動きだした。県道35号の瓦礫を取り除きながら国道45号を目指した。そこから日向地区まで合計2.5kmを切り開く計画。作業を始めた3人の前に、想像を超えた瓦礫の山があった。屋根や車、柱などぐちゃぐちゃになって重なっていた。3人は生存者が中にいるかも知れないと感じていた。保たちは瓦礫をひとかきするたびにエンジンを切り、人がいないか大声で確認した。1時間に進めるのは100mほどだった。日方地区では夜が明けると住民たちは閉じ込められた深刻な状況を理解した。救護活動の先頭にたったのが二本松誠だった。電気も水道も寸断。食料は各家庭の備蓄だけだった。電話も通じず助けが来る気配もなかった。そんな中、集会所に人が集まっていた。炊き出しが行われていた。配られていたのは温かいおにぎりだった。立ち上がったのは、小笠原津多子さんら地区の女性たちだった。3月12日、、午前8時、保たちの作業は止まっていた。道路の真ん中に家がありその先は水没。県道を行くのは厳しい。保は三陸道に繋がる新たな道路を、突貫工事で作ろうとした。3月13日、早朝、即席のインターチェンジが出来上がった。夜、日向地区では食料が尽きかけていた。