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「上田品次郎」 のテレビ露出情報

広島県福山市を流れる芦田川。次の投稿は今から100年以上前の災害ボランティアに関するファミリーヒストリーである。投稿をくれた上田耕士さんの会社にお邪魔して話を聞き、広島県福山市沼隈町常石に来た。そこにいたのは投稿者のいとこである上田陽一さん。投稿者の祖父である上田品次郎は瀬戸内海航路で石炭を主に運んでいたという。その中の一隻が大正時代の記録にあった。福山市を襲った大規模水害は大正8年に起こり、災害当日から周辺地域の住民や団体が被災地に入り救助の手を差し伸べたという。その中で上田品次郎の名前がないか当時の新聞や資料を調べたが見つからなかった。ところが以外なところでその名前が見つかり、それは「日本青年館」だった。常務理事の佛木完さんに話を聞き、山本瀧之助日記の中に名前が書いていた。山本瀧之助は明治時代の後半から全国に組織されてく青年会の全国の組織化を広島を中心に呼びかけた先駆者だという。青年団の活動はやがて全国に広がり、300万人もの若者が参加するまでになった。そんな中で瀧之助の理想に共感して活動に加わった1人が上田品次郎だった。そして大正8年の水害の資料には品次郎が所属する千年村青年団百八十四名が駆けつけていたとあった。山本瀧之助研究会の会長・清水幹男さんに話を聞くと水害のあった当時は28歳になっていた品次郎の役割は大きかったと話した。また品次郎の船がないと被災地に入るのは困難だったのではないかという。

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