海沿いに家屋が立ち並ぶ、石川県珠洲市三崎町寺家の下出地区。約40世帯が暮らしていたが、能登半島地震の津波により大きな被害を受けた。地区の防災士、奥濱さん。東日本大震災をきっかけに定期的な避難訓練を呼びかけたが当初の参加者は3分の1だったという。奥濱さんは参加者が増えるように、避難訓練のあとに交流の場を設けた。その雰囲気づくりが住民の意識を変えていったという。こうして避難訓練はいつしか地区の恒例行事となった。そのうち住民みずから避難方法を模索するようにもなったという。その一つが避難経路の見直し。市に要請して経路の整備も行った。避難訓練を重ね、『なにかあったら集会所』という合言葉も定着。元日の地震ではこの合言葉が活かされ、住民は全員集会所に避難し命を落とした人はいなかった。