スタジオには美空ひばりさんの伝説の不死鳥コンサート衣装を用意。1989年、52歳で美空ひばりさんが亡くなった。今でも石井さんは命日にお線香をあげに行っている。石井さんは、ひばりさんははずかしがりやだったと振り返った。また、ひばりさんがマンションに手づくり弁当を持って現れたことがあると語った。石井さんの苦手なかぼちゃの弁当で、「私が作ったんだから食べなさい」と言われて食べた結果、石井さんは美味しくて苦手を克服した。ひばりさんは40代後半からは大腿骨骨頭壊死に苦しんだ。不死鳥コンサートは、病院の先生から止められていて、和也さんは止めるよう提案したがひばりさんは譲らなかった。間質性肺炎も患っていた中、舞台裏では主治医と看護師がついて簡易ベッドで横になっていた。和也さんは当日、本当にステージが成立するのか不安だったという。