吉原のメインストリートから外れたエリアは羅生門河岸と呼ばれ、安価な遊女屋が集まっていた。史料によると、遊女たちはわずか数両ほどのお金と引き換えに売られ、吉原で年季奉公を強いられていた。店の主人に反抗すれば折檻され、梅毒や栄養失調で長くは生きられなかった。そもそも吉原は幕府公認の遊郭で、江戸市中からの税収のうち約8%を占めた。また、遊女の逃亡を妨げるため、吉原の周囲には塀、堀があった。曽根ひろみ名誉教授は「権力が売買春を認め、遊女の心と体を奪い尽くすような場だった」と話す。
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