- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 河合敦 風間俊介 水野美紀
オープニング映像。
スタジオには「大河ドラマ べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」に出演する水野美紀、風間俊介が登場した。水野は「セットが豪華絢爛」、風間は「江戸っ子の話なので現場に活気がある」と語った。
当番組ではCGで作られた仮想空間に安土城、関ケ原の戦場といった歴史の舞台を再現してきた。江戸東京博物館には大河ドラマ「べらぼう」の舞台でもある吉原のガイドブック「新吉原細見」が所蔵されている。さらに遊郭の歴史を40年にわたって研究する渡辺憲司名誉教授、「べらぼう」で吉原の風俗考証を担当する山田順子氏の協力を仰ぎ、仮想空間に吉原の日常を再現を試みた。吉原には遊女屋を紹介する案内所「引手茶屋」があり、客は宴会を催し、遊女が来るのを待っていた。宴もたけなわになったころ、花魁道中が姿を見せる。春になると、満開の桜並木がメインストリートを彩っていた。その様子は浮世絵に多く描かれている。
風間俊介は「『べらぼう』の視聴者は吉原の雰囲気を味わってみたいと思っているはず」と話し、番組の企画で仮想空間に再現された吉原をどこかでお披露目して欲しいと期待した。
高級遊女に扮した役者を360度から撮影し、エンジニアが動く3DCGを作成。仮想空間に花魁道中を再現した。花魁の後ろに控える禿は世話係で、振袖新造という見習い遊女も同道した。花魁は禿、振袖新造の指導も担当したという。
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大河ドラマ「べらぼう」では瀬川役の小芝風花が花魁道中のシーンを演じたが、水野美紀によると1日を費やしたという。なお、蔦屋重三郎が制作した「新吉原細見」には2000人以上の遊女の名前が記されているなか、花魁道中ができたのは60人ほどだったという。風間俊介、水野美紀はVRゴーグルを装着し、花魁がどのような生活を送っていたのか垣間見た。
吉原のメインストリートから外れたエリアは羅生門河岸と呼ばれ、安価な遊女屋が集まっていた。史料によると、遊女たちはわずか数両ほどのお金と引き換えに売られ、吉原で年季奉公を強いられていた。店の主人に反抗すれば折檻され、梅毒や栄養失調で長くは生きられなかった。そもそも吉原は幕府公認の遊郭で、江戸市中からの税収のうち約8%を占めた。また、遊女の逃亡を妨げるため、吉原の周囲には塀、堀があった。曽根ひろみ名誉教授は「権力が売買春を認め、遊女の心と体を奪い尽くすような場だった」と話す。
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水野美紀は「べらぼう」で女郎屋の女将を演じている。宿が経済的に潤えば、豪華な食事、寝床を遊女に与えて守ってやれるという信念を抱いているという。河合敦氏曰く、吉原の負の側面を忘れてはならないという。蔦屋重三郎が34歳の時、吉原から店を移転した先が日本橋だった。
江戸のまちづくりを研究する陣内秀信名誉教授に協力を仰ぎ、江戸時代の日本橋を仮想空間に再現する。多くの船、積み荷(野菜に魚、衣類に瀬戸物など)が集まるなど水運の要衝で、蔵に保管していた。遠出の際、猪牙舟という水上タクシーが利用された。河合敦氏によると、関東大震災まで日本橋に魚河岸があり、毎朝千両の金が動いたという。
風間俊介は「吉原の活気はエンターテインメントとして作られたものと言えるが、日本橋には商いの活気が溢れている」と語った。江戸繁昌記には江戸っ子は3日間、魚を食べないと骨がバラバラになると記されるほど、魚を愛食していたという。
江戸の街で最も普及した商売スタイルが棒手振で、食品に日用品、金魚や鈴虫まで売り歩いた。日本橋には棒手振、運送業の飛脚も往来した。橋を渡った先にある通一丁目というエリアは江戸随一の繁華街で、河合氏は「零細な行商人でも江戸の大店持ちに出世することは夢ではなかった」と話す。蔦屋重三郎の耕書堂は吉原から日本橋へと移転し、浮世絵を販売していた。蔦重は新人絵師だった東洲斎写楽をプロデュースし、浮世絵を28枚同時に売り出していた。
日本橋には蔦屋重三郎の他、風間俊介演じる鶴屋らも本屋を構えていたという。風間は「蔦重と鶴屋の切磋琢磨が日本の出版界を変えていく、それだけは間違いない」と語った。水野は歴史の舞台を仮想空間で再現する試みに感嘆し、「是非、教育現場でも取り入れて欲しい」と要望した。佐藤二朗、水野は大河ドラマ「べらぼう」が日本橋に舞台を移し、どう描かれるのか楽しみになったという。
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