厳島神社の本殿はかつて日本最大を誇り、参拝者は平家の絶大な権力を実感したとされる。そんな平家だが、過去には「最下品(貴族の中で最も位が低い)」と蔑視されていた。盗賊の取り締まりといった下働きをさせられていた上、家格で昇進にも限界があった。平家の領地では赤い鉱物、辰砂(硫化水銀)が大量に採掘され、不老不死の薬になると珍重されていた宋国への輸出を企図した。輸送路となる瀬戸内海を押さえる必要があり、沿岸部の国司を歴任した。平家は辰砂の輸出に成功し、宋国からは大量の輸入品がもたらされた。珍品を天皇、上皇に献上することで出世を図り、平清盛の頃には上級貴族の仲間入りを果たした。
三浦正幸名誉教授は長年にわたって厳島神社を研究し、寝殿造と共通する部分は多いという。貴族からすれば厳島神社は自邸よりも巨大で、おまけに海に浮かんでいると驚かされたはずだという。
三浦正幸名誉教授は長年にわたって厳島神社を研究し、寝殿造と共通する部分は多いという。貴族からすれば厳島神社は自邸よりも巨大で、おまけに海に浮かんでいると驚かされたはずだという。