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「中国国民党」 のテレビ露出情報

1909年、稀代の悪女と呼ばれた西太后が北京で息を引き取った。清朝末期、女性が表舞台に立つことを許されなかった時代に最高権力者として君臨した彼女は暴虐を繰り返した一方で、鉄道の敷設や清華大学の設立を進めるなど中国の近代化に多大な貢献を果たしていた。彼女の死から3年後、辛亥革命の勃発により清朝は滅亡。革命家・孫文がアジア初の共和国である中華民国を打ち立てた。
同じ頃、アメリカでは中国出身の三姉妹が勉学に励んでいた。長女の宋靄齢、次女の宋慶齢、三女の宋美齢からなる”宋家の三姉妹”である。宋家は上海を基盤とする巨大な財閥で、留学を終えた三姉妹の次女・慶齢は父が資金援助を行っていた若き革命家・孫文の秘書となり、後に結婚。中国国民党を結成した孫文は中国共産党と共に中国統一を目指したが、その翌年に死没する。孫文の革命事業は蒋介石が引き継ぐことになったが、蒋介石は一転して共産党への弾圧を強めた。これを機に中国は内戦状態に陥り、慶齢は蒋介石を「裏切者」と呼んで非難した。しかし、三女の宋美齢は蒋介石と結婚してしまう。この婚約を進めたのは三姉妹の長女・靄齢で、彼女は妹と蒋介石を婚約させることで宋家の権力基盤を盤石なものとする狙いがあった。当時の蒋介石は妻帯者だったが、靄齢は上海の財界からの支援を提示し離婚を迫ったという。失望した慶齢は国民党と敵対していた共産党に接近し、三姉妹は互いに引き裂かれることとなった。
辛亥革命を経て、上海では女性の解放が進んでいく。それまで禁じられていた女性の散髪も解禁され、社会が活気に満ちると共に映画産業も発展。こうした中、「東洋のハリウッド」と称された上海の映画界でデビューしたのが藍蘋という女優だった。作品に出演は果たしたものの、大成しないまま不倫スキャンダルによって上海の映画界から追放された彼女は共産党の根拠地となっていた延安へと流れ着き、ここで”江青”と名前を変えた。前職の経歴を活かして共産党の演劇指導者となった彼女だが、ここでもスキャンダルを起こす。相手は当時妻帯者であった共産党指導者・毛沢東。2人の関係に党幹部からは大きな批判が寄せられたが、「江青が地位を利用して政治に参加しないこと」などの条件を飲んだ上で2人は結婚を果たした。
1937年になると日中戦争が勃発し、国民党は2度目の国共合作に踏み切る。宋家の三姉妹も久々の再会を果たし、国際世論を中国支持に近づけた。さらに、美齢はワシントンへと乗り込み流暢な英語で中国への支援を訴える。美齢の奔走によってアメリカは中国への軍事支援を本格化させ、ついに1945年に日本軍は降伏。三姉妹も共に勝利を喜んだが、翌1946年には国共内戦が始まり再び敵と味方に引き裂かれることとなった。内戦では共産党軍が勝利し、長女の靄齢はアメリカへ逃亡。美齢は夫の蒋介石率いる国民党軍と共に台湾へと逃れた。ただ1人中国に残った慶齢は共産党体制下で国家副主席に抜擢された。しかし、程なくして毛沢東が主導した反共産党の知識人を弾圧する政策「反右派闘争」に慶齢は強く反発。激怒した毛沢東は慶齢を政権の中央から遠ざけ、こうして両者の蜜月関係は崩れ去った。
1959年になると毛沢東に代わり劉少奇が新たな国家主席となる。ファーストレディとなった王光美は原子物理学を学んだ才媛で、仲の良い家庭を築くと同時に外交の場でも活躍。気品溢れる王光美は内外から称賛を浴びたが、その姿に江青は嫉妬の炎を滾らせていた。毛沢東を説得して政治参加を果たした江青は夫を権力の座に帰り咲かせるため、若者を焚き付けて革命を煽った。こうして勃発した文化大革命は全国に拡大していく。文化大革命を実行した紅衛兵たちは1万人以上を殺害。さらに、毛沢東による権力奪還のため、邪魔者となった劉少奇と王光美も投獄された。暴走を続ける共産党を慶齢は「むやみに人を逮捕し、無惨に死なせる事が革命と言えるのか」と厳しく非難した。こうした批判の中でも江青は訪中したニクソン大統領を病床にある毛沢東に代わりもてなすなど活躍を続けたが、毛沢東の死により状況は一変する。江青は夫に代わり最高権力者の座を狙ったが、毛沢東の暴政に不満を抱いていた党幹部により「文化大革命の主導により国に混乱をもたらした」として逮捕される。法廷で自身の暴虐が提示されてなお江青は自身の正当化に奔走したが、死刑判決を受けたことに絶望し自殺。劉少奇の名誉も回復され、王光美と慶齢は共に喜びを分かち合った。
1981年、宋慶齢は88歳でその生涯を終えた。死の直前、彼女には名誉主席の称号が与えられ、遺骨は故郷の上海にある墓に収められた。共産党は大陸を追われた美齢らも葬儀に招待したが、姉妹が参列することはなかった。姉の死に立ち会うことが叶わなかった美齢は2002年、蒋介石の死後に台湾から移住したアメリカで105歳の生涯を終える。晩年の美齢は私財を投じて台湾の若者に海外留学を進める活動に尽力し、その制度を利用して留学した若者の中には後の台湾総統・蔡英文もいた。かつて中国に君臨した女帝・西太后は紫禁城に「翔鳳為林」の文字を掲げたが、そこには次のような意味が込められているという。「女性たちよ、羽ばたきなさい」と。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年6月16日放送 18:00 - 18:05 NHK総合
ニュース(ニュース)
台湾の頼清徳総統はきょう陸軍軍官学校の創立100年の記念行事に出席し、最高の使命は台湾海峡の平和と安定を維持する重責を引き受けることだと幹部候補生たちを激励した。この学校は今の台湾の最大野党の国民党が中国大陸に開き、共産党との内戦に敗れたのに伴って台湾の高雄に移転した。きょうは創立100年の記念日で、民進党政権の頼清徳総統が幹部候補生たちに訓示。頼総統は「中[…続きを読む]

2024年5月29日放送 8:15 - 9:55 NHK総合
あさイチ(ニュース)
台湾で野党が多数を占める議会・立法院の権限を拡大するための法案が可決された。少数与党の頼清徳総統は就任早々、野党からの強い揺さぶりを受けている。立法院では、野党の国民党と民衆党の主導で「立法院職権行使法」や「刑法」の改正案が審議されていた。頼清徳総統は中国による軍事演習の圧力に加え、野党からも強い揺さぶりを受けている。

2024年5月25日放送 5:30 - 5:45 TBS
JNNニュース(ニュース)
台湾の立法院では、最大野党・国民党と民進党が提出した法案をめぐり、総統に対して定期的に立法院での質疑や報告に応じるよう求めるなど立法院の権限を強化する内容が盛り込まれていることから、与党・民進党は強く反発。抗議活動には市民8万人が参加。法案は採血されず、来週28日に審議再開へ。

2024年5月23日放送 3:45 - 4:30 TBS
TBS NEWS(ニュース)
中国と距離を置く民進党の頼清徳氏が、新しい台湾総統に就任した。台北では10年前、3期連続の民進党政権につながる政治運動が起きていた。2014年に行われたひまわり学生運動は、中国に融和的な当時の国民党政権が中国との経済関係を深める為に結ぼうとした協定に学生たちが反発したもので、23日間に渡り国会に総統する立法院を占拠した。国民党は協定手続きの停止に追い込まれ、[…続きを読む]

2024年5月21日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルNEWSドリル
「信念の人」台湾・頼清徳新総統とは?頼清徳新総統は台湾北部生まれ、6人きょうだい。幼少時に父を亡くし苦学して医大に進学。医師として勤務後、選挙応援をきっかけに1996年政治家に転身。政治家としての主な経歴。2010年台南市長に当選、2017年行政院長に就任、2020年副総統に就任。東京外国語大学名誉教授・小笠原欣幸は「頼清徳新総統は柔和な人物とみられることが[…続きを読む]

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