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「中核派」 のテレビ露出情報

国鉄解体”めぐる暗闘。国鉄改革のキーパーソンであった井手正敬さん。国鉄改革を率いたのち、JR西日本の社長・会長になった。JR西日本の天皇と呼ばれた。1975年の長期ストライキに危機感をおぼえたという。国鉄・日本電信電話公社・日本専売公社の三公社の労働組合なぢによるストライキが起きた。国鉄は職員40万人のうち組合加入者が34万人。移動手段を失った人たちは街に溢れかえった。会社に泊まる人もいた。1980年に鈴木善幸内閣が発足。中曽根康弘氏が行政管理長官となった。1980年当時の赤字国債の発行額は7兆円超。臨時行政調査会を設置し、行財政改革に乗り出した。国鉄の民営化が計画されはじめた。井手さんは臨時行政調査会の窓口の部署にいた。新聞各紙は国鉄の不祥事を報じるようになった。改革3人組の井手さん、葛西敬之さん、松田昌士さんらの作戦だったという。自民党の運輸族の三塚博衆院議員にも接触。三塚議員と組むことになった。中曽根氏の当時の万記者の岡崎守恭さんは、中曽根氏は覚悟を決めていたとのこと。岸信介さんへ挨拶へ行ったとのこと。岸信介氏は、日本で行政改革が成功したのは明治維新とマッカーサーの占領政策だけだと言った。中曽根氏は腹を固めたという。1982年、国鉄の年間赤字は1兆3778億円。上越新幹線は、財政悪化に拍車をかけた。国鉄に分割案が浮上した。中曽根総理大臣は、西武鉄道の副社長をつとめた仁杉巌氏を総裁に任命。改革3人組と対立していたのが縄田国武副総裁。その背後にいたのが田中角栄氏。運輸族のドンと呼ばれていた。仁杉総裁は、いまの国鉄は大きすぎるといい、分割民営化に賛成と公言。仁杉総裁と井手さんが談笑しているところに縄田副総裁が飛び込んできた。なぜ仁杉に公言させたのかと。井手さんは本社を追われることになった。仁杉総裁は反対派と行動を共にすることになる。縄田副総裁は、勢いづく。独自の再建案を公表。分割民営化に逆行する案だった。中曽根総理大臣は苛立ち国会で国鉄を非難。反対派の再建案を公表前に入手。三塚議員に見せ、進言した。田中角栄元総理が脳梗塞で入院。中曽根総理大臣は一気に舵をとる。電電公社はNTTになった。日本専売公社はJTとなった。民営化は着実にすすんだ。仁杉巌総裁は辞意を表明。中曽根総理大臣に辞表を出した。国鉄の常務理事だった石井幸孝氏が当時の様子を語る。仁杉総裁は、理事全員に進退伺の提出を求めた。杉浦喬也新総裁が誕生。反対派を一掃した。仁杉総裁は、分割しなければだめだと考えていたという。この5か月後に、国鉄同時多発ゲリラ事件が起きた。浅草橋駅を襲撃し放火。全国33か所で国鉄の信号通信ケーブル切断。労組のストライキは過激派の中核派が支援した。国鉄職員二人も逮捕された。1986年、国鉄改革関連法が成立。国鉄の分割民営化が決まった。臨時役員会には国鉄改革組三人の姿があった。井手さんは改革のためにすべてを犠牲にしたという。1987年、115年の歴史に幕を下ろした国鉄。国鉄改革は日本の社会構造に変革をもたらした。

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