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「澄子さん」 のテレビ露出情報

1995年、文化庁は原爆ドームを国の史跡に指定。広島市が世界遺産登録に向けて動き出してから3年が経っていた。世界遺産推薦に向け日本政府は米側と交渉。推薦書は特定の国への批判ととられないよう注意を払って作られた。強調したのは「核兵器の惨禍」「平和を訴える存在」ということ。米側からの反応はすぐにはなかった。このころ米国では国立博物館に被爆資料を展示する計画に退役軍人らが猛反発し問題になっていた。
1996年5月、日本政府が原爆ドームの世界遺産登録に向けた推薦を行って半年以上が経過。米側は反対の立場で、日本が作成した推薦書がそのまま公表されることに懸念を表明。米側が問題視したのは「人類史上初めて使用された核兵器の惨禍」という文言。推薦の方針を決めた羽田元総理は担当者のもとを訪れ、手を握って「頑張ってください」と鼓舞。
原爆ドームの世界遺産登録に向けた日米交渉にあたった久枝さん。母親は原爆投下の翌日に広島に入り被爆。久枝さんも幼い頃からその体験を聞いていた。米側に説明する際、いつもこのことを思い出していた。「失敗すれば被爆者に申し訳ない」との思いで臨んだ。最終的な国際会議を前に単身渡米し「反対すれば日米関係が重大な壊滅的なことになる」と直接訴えた。米側は議論の中で「正しい行動はなにか」「発生する問題にどう対処するか」を分けて考え、前日になって「登録の邪魔はしない」「賛成していないことを証拠に残す」との方針を日本側に伝えた。
原爆ドームの世界遺産登録に向けた各国の最終審議。採決を前に反対する国はなかったが、中国は日本の戦争加害に触れ「留保」とした。登録は決まり、直後に米国が「決定から距離を置く」「第二次大戦を終わらせるために原爆を使用したという経緯は広島の悲劇を理解するうえで重要」との旨を発言。ユネスコの評価書では「原爆ドームは世界平和の実現を象徴する記念碑」とまとめられていて、米側が懸念していた「核兵器の惨禍」といった推薦書での表現は使われず。審議に米代表として出席したマキルヘニーさんは登録後に初めて原爆ドームを訪れ、圧倒されその場で立ちすくんだという。

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