色とりどりの商店が立ち並ぶ今の九份だがかつては雨漏りを防ぐためにコールタールで黒く塗られた屋根に覆われた色彩の欠けた街だった。五番抗があるが金が見つかる場所で抗員があつまり金を採りにここに来ていたという。かつては小さな農村で1893年に金鉱が発見され九扮に最初の春が訪れた。最盛期には5万人の人が周辺で暮らしていた。九扮はゴールドラッシュに沸き立ち大金を手にした抗員たちは着飾って街へ繰り出したという。博物館にはこの地でとれた220.3キロの金塊があり価値は30億円に。昇平戯院は映画館で、賑をみせていた。しかし街の享楽的な雰囲気は抗員たちの過酷な労働と表裏一体。九扮で民宿を営む陳シ勇さんは抗員だった父を亡くしたという。その平均年齢は短く、肺の病気や晩年になると自分の力で立つことができなくなる抗員も多かったという。
和田が抗山へむかったが夢があるが辛いことも多かっただろうと答えた。1971年には金脈の枯渇で閉山。九扮は空き家だらけの閑散とした街になっていた。そんな九扮が一躍世界の注目をあびることになる。
和田が抗山へむかったが夢があるが辛いことも多かっただろうと答えた。1971年には金脈の枯渇で閉山。九扮は空き家だらけの閑散とした街になっていた。そんな九扮が一躍世界の注目をあびることになる。