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「二・二六事件」 のテレビ露出情報

シスター・渡辺和子さんが晩年に綴った書籍「置かれた場所で咲きなさい」はベストセラーに。「何もできなくていい。ただ笑顔でいよう。」など、本には全ての人に向けられた励ましの言葉が書かれている。きょうは誰をも優しく包み込む渡辺さんの人生を振り返る。シスターとなった渡辺さんの原点は9歳の頃。昭和11年の二・二六事件では、早朝に陸軍の青年将校たちが渡辺さんたちの自宅を襲撃。渡辺さんは父・陸軍教育総監の渡辺錠太郎さんが殺害される一部始終を目の当たりにする。事件は渡辺さんの生き方に大きな影響を与えることとなる。やりきれない気持ちのまま10代を過ごした渡辺さんは救いを求めて18歳の時にカトリックの洗礼を受ける。渡辺さんはカトリックの道に進むことで生き方の模索を始めることになったのは29歳の頃。修道院の厳しい下働きや共同生活を通して渡辺さんは少しずつ人に尽くす意味を悟る。
渡辺さんは36歳でノートルダム清心女子大学の学長になるが「自分が何をすべきか?」この時点ではまだ試行錯誤が続いていた。特に道徳の授業では生徒に何をどう教えればいいのか悩んでいたという。その時、尊敬する神父から紹介された一片の詩が渡辺さんにある気づきをもたらす。「神が植えたところで咲きなさい。咲くということは諦めることではなく、周りの人たちを幸せにすること」。境遇は選べないが生き方は変えることができる、幸せを変えるかは自分しだい。この詩との出会いは渡辺さんのこれまでのわだかまりを拭い去るきっかけにもつながる。それは二・二六事件から50年目の事、父を殺めた青年将校たちの法要に出席することを渡辺さんは決意。お墓参りなど考えたくもなかった渡辺さんだったが、暗く閉ざした心を整理したい思いは常にあった。思い切って臨んだ二・二六事件将校たちのお墓参りでは父にとどめを刺した将校の遺族に邂逅。相手の遺族もまた苦しい50年を過ごしてきたのだ。それ以来、遺族の安田さんは毎年欠かさず犠牲者の渡辺錠太郎さんのお墓参りに訪れている。相手の気持ちを知ることで抱えてきた苦しみが消えていくのを感じた出来事だったという。「敵さえも愛することができたら人間にとってはすばらしいことだと思います。無条件に相手を受け入れることはなまやさしいことではない。けれども、その人をじっと見つめて”ああ この人は幸せになる権利を持っている”」など、渡辺さんは語っていた。人は苦しい時どうすべきか、この難しい問いいへの答えをようやく見つけることができた。その体験をもとに紡ぎ出した言葉はいつまでも多くの心を励まし続けることだろう。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月25日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
1930年に選挙で勝利したのは第27代首相の浜口雄幸。5年前に普通選挙が成立し、有権者の数は4倍になり、議員たちは支持獲得に躍起になった。当時は政治と国民の橋渡しになっていたのは新聞だ。当時の日本は世界恐慌による不況のただ中だったので国家予算の大きな比重だった軍事費を抑えたいという思いがあったという。
しかし1931年に満州事変が起こり、首相の若槻禮次郎が[…続きを読む]

2025年8月21日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーンNEWS日替わりプレート
今月15日で終戦80年を迎えた日本。終戦当時の内閣総理大臣が鈴木貫太郎。1945年4月、77歳で総理大臣に就任。在任期間は130日あまりでありながら日本を終戦に導いた。都内に暮らす孫娘の鈴木道子さん。道子さんが4歳の時に二・二六事件という軍事クーデターが起こる。当時鈴木貫太郎も軍人に襲われた。鈴木は重傷を負いながらも一命をとりとめた。事件後は侍従長を退任し、[…続きを読む]

2025年8月9日放送 5:37 - 5:40 NHK総合
【放送百年】アナウンサーの100年(アナウンサーの100年)
中村茂アナウンサーは放送の力を世に知らしめた。二・二六事件で反乱軍の投降を促すラジオ放送を行った。中村茂アナウンサーの呼びかけは反乱軍に即座に伝わり兵のほとんどは投降。クーデターは武力鎮圧なく収束した。この事件はラジオ放送の影響力を世間に知らしめた。しかしその力は軍部にも利用され、ラジオが国民を戦争に駆り立てていくこととなる。

2025年3月3日放送 20:30 - 21:54 テレビ朝日
クイズプレゼンバラエティーQさま!!昭和100年シリーズ第2弾!日本の名所・絶景・世界遺産 昭和の貴重映像ランキングBEST10
アルバム問題「帝国ホテルに関わりが深いこの出来事は何?」と出題。正解は「二・二六事件」。

2025年2月26日放送 23:26 - 23:28 NHK総合
アナウンサーの100年(アナウンサーの100年)
中村茂アナウンサーは放送の力を世に知らしめた。二・二六事件で反乱軍の投降を促すラジオ放送を行った。中村茂アナウンサーの呼びかけは反乱軍に即座に伝わり兵のほとんどは投降。クーデターは武力鎮圧なく収束した。この事件はラジオ放送の影響力を世間に知らしめた。しかしその力は軍部にも利用され、ラジオが国民を戦争に駆り立てていくこととなる。

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